リツエアクベバ

satomies’s diary

大仰なことと単純なことと

大切なのはいつも、ナルシズムを捨てて注意深く他者の声にならない声に耳を傾けること/かへる日記 (FRGFRG304)

 上記エントリでリンク引用されているニュース。ngmkzさんは「違和感」としているのだけれど、わたしは「違和感」というより「よくわからん」の方が近いと思う。

 「どんな環境でも調和が保たれる作品」と佐藤夫妻の長女で、東京のアトリエ・エレマン・プレザン代表である佐藤よし子さん(29)。独特の感性で世界をとらえ、アートに表現する彼らは、生まれながらにして平和的な特性を持つという。「見る人の心に安心感を与える。彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/m20070827027.html

 安心感かあ、と思う。舛次崇氏の絵は、わたしは「安心感」というよりいい意味でドキドキするんだけど。あと、名前忘れちまったので検索できないんだけど、中国のダウン症の方でなんだかの高い評価とかという人の絵を見たことがあるんだけど、色彩がぎらぎらして迫力があった。ドキドキだったんだけどな。
 個人差はあるとは思うけれど、ダウン症児者の「平和的な特性」というのはわかるようにも思う。ただそれが、個人的精神世界の展開の結果にどう関わっていくのか、どう定義づけていけるのか、ということになると、わたしにはよくわからない。
 「彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」。娘が幼児期にエイブル・アート・ジャパンで活躍されるサイモン順子氏の講演を聞いたことがあるんですが。氏の半生と、そして「彼らから芸術的な生き方を学ぶことが多いです」みたいな話。ngmkzさんと同じようなことおっしゃってたような記憶があるなあ、と。以下の部分の非常にシンプルな部分にサイモン氏自身が助けられたというお話だったような。

「ぼくは/わたしは、これをかきたい/つくりたいんだ」という部分で何かが生まれて、そして誰かを感動させれば、それはアート足りうるんじゃないか?
大切なのはいつも、ナルシズムを捨てて注意深く他者の声にならない声に耳を傾けること/かへる日記 (FRGFRG304)

 このサイモン氏の講演を聞きに行った頃。ちょっと(ううむ…)と思っていたことがあって。そのことを質疑応答の時間にお聞きする。幼児の娘が毎日白い紙に絵を描く。ここのところよくあること、気になること。絵を描いていて、それなりに描き上がっていったその絵を、急に黒か紫でがんがん塗りつぶしていく。そうしたとき、とてもいらだっていて地団駄を踏んだりもしている。描くこと、塗りつぶし始めること、いらだつこと。それを全てたった一人で展開させていく。わたしはどうしたらいいいのだろうか、と。
 アート・カウンセラーという肩書きをもつサイモン氏は「見ていてください」と。「見守っていてあげてください」と。「ダウン症の人に時々見られます」と。「何か自分自身を揺らされることが生活の中に起きていることと関連していることがあります」と。「本人が本人で向かい合っていることです」「何もしなくていい。ただ見守っていてください。その行動を今出していることを知っていてあげてください」と。
 ふふんふんふんと幼児がお絵かきをしていて、わ〜っていらだっていく様は見ていてざわざわするし、どうしていいかわからなかった。ただこのサイモン氏の「見守っていてあげてください」を信頼するしかなかった。しばらくして(ああこのことだったのかあ)と思うようなことの報告が、保育園からくるんですけどね。集団の中で自信が揺らぐようなこと。やんわりと解決に園が尽力してくださって、そしてまもなくこのいらだちは消えていった。そうかあと思った。
 本人が選んで向かう集中。こうした行動には本人が本人に向かって出していく声があるんじゃないか、と思うようになった。その声や意志や意図はなかなかそう簡単にわかるもんでもないと思うし、簡単にわかると思われちゃ困りますよね、と言われているようにも思うんだな。わたし自身だって、自分の思うこと感じることを自分でうまく他者に伝えられないだろうと思うことや、また他者に伝えたいとも思ってないことを、勝手に代弁して解明されようとしても困っちゃうだろうなあと思うんだよね。
 娘の現在。ここ数年は白い紙にお絵かきより、好むのは塗り絵が中心。スーパーや書店、それから百均に行くと、初めて行く場所でもたたーっとめざとく売り場を発見して必ず二冊選び出す。創作系ってより幼児っぽいけど、それが好きならいいんじゃない?という感覚。塗って、そしてその上にまたなんか描いていったり。塗り絵の線に忠実だったり堂々と線を飛び越えたり。
 白い紙に絵を描いて、その上にどんどん書き足していって最後はよくわからんものになっていくのも、本人にとってはこの塗り絵の作業と同じようなものなのかもしれない。それが好きならいいんじゃない?という感覚。ただ、描いていらだって黒か紫でがしがしと塗りつぶしていく見ていて不安になる行動は、あの幼児期以降、一度も見ていない。