リツエアクベバ

satomies’s diary

ここのところ思うこと

 娘が中学を卒業した。特別支援学校の高等部生になった。入学、連休明け、そして5月ももうすぐ終わる。高等部の印象は、入った途端、進路進路進路進路、という感があること。
 進路先を決めていくことが厳しい事情と現実というものはわかる。考える必要がある重要だということを、誰かまかせではすまないんだということもわかる。でも学校生活もあと3年で終わることを考えると、進路進路進路進路という思考中心の話ばかりでは、なんか淋しくもなる。
 来週には、具体的な希望先を書く欄がある書類の提出がある。現在入れる状況にあるかどうかは関わらず、既存の施設を片っ端から見学しておくようにも言われる。立地、施設の法的位置づけの種類、日々の内容、子どもの個性に合っているかどうかetc…、etc…、etc…。それはすぐに必要な情報というよりは。進路をきちんと前向きに考えるために、高等部入学したてから「親の意識を起こす」目的もあるのだと思う。
 まあそれなりに、第三志望まで書こうと思うとこはあるんだけどさ。卒業時に募集あるかどうか保証は無いけど。実習は受け入れがあるかもしれないけど。
 どこに入るかどこに入れたいかって、本当はさ、どこってよりも、心配なのは5年後くらいなんだよね。学校ってのは、毎年毎年なんらかの環境に変化があるわけで。でも卒業後はそんな変化なんてものはほいほいやってはこない。学校みたく、入れ替わり立ち替わりいろんな人が次から次へと目の前に現れてくるわけでもない。1対いくつの人員の配置も大幅に減少する。そんな中で、それはそれで環境として受け入れて、こつこつこつこつと、日々を重ねていくんだろう。でも本人が呆然とそのこつこつを途方もなく感じたときに、わたしはいったいどうするんだろう、みたいなこと。ここんとこ頭ぐるぐる。まあそれでも進むけどね。差し込む光の筋を見つけていくのはお手のモンさと。なんてちょいと強がってもみるのは、つなごうとするたくさんの手の存在か。
 なんてことを考えているときに、ngmkzさんからトラックバックが入る。おおかえるにーちゃん、今度はgooに向かって送信か。

手紙/かへる日記 (FRGFRG304)

 出す言葉、その字面だけじゃなくてさ、言葉出していくときにひろげていくような手のひらの中身。その中身に視線がいくってことはあるわけで。字面の解釈だけではない何か。その中身が本当には正確に共有できるものではなくても、そのひろげていこうとする手のひらが見えるような感じがする人ってのが、わたしはいいなと思うわけで。上記リンクを読めば、わたしはngmkzさんのこっちのエントリに即飛びするわけで。紫色のラインマーカーで書かれたへったくそな、おっといけない味わいのある文字群の中の最後の一行を味わいに行くんだよ。
 ああまったくねえ。なんでかえるにーちゃんとこの職場は遠方なんでしょ。近場だったらとっとと進路希望欄に書くのにね。いやどこに入れたって、数年もすりゃなんだかんだなんだかんだと、どうしよってことは生まれてくるだろと思う。そういうときに、そのことだけ以外にも話ができそうな人、そういうビビビがある人がいてくれるとこにできたら入れたいよなあと思う。まあ仕方ないけど。まあそういう人間関係が見つけられるようがんばるけど。