リツエアクベバ

satomies’s diary

「僕の歩く道」最終回

 最初はぶつぶつとはてなで書きながら、結局gooに持っていってアップ → *1 「僕の歩く道」最終回
 ああそういう風にもっていく構成ね、と、けっこう醒めた目で見ていた最終回。今回の脚本は、ひとつのキーワードに対しての表裏等、構成の巧みさなんてものも高評価だったので、すぐに構成が見えてしまったってことが、ちょっと自分にとっては、ってとこがあったのだと思う。でも、閉め方としてはよくできていたと思う。
 ひとつの作品として、読解や理解というものは、作り手と受け手との戦いみたいなものはあると思う。簡単な戦いではわかりやすいかもしれないが、本当にわかるものは薄くなる、ってとこ、これはわたし個人の好みってとこが関係するかもしれない。
 海外ドラマ、そんなに見ているわけではないのだけれど。その中で、アリーMy Loveはおもしろかった。脚本家との戦い、みたいな要素がわたしはとてもおもしろかった。今回の「僕の歩く道」は、同様のおもしろさを与えてくれたと思う。
 と、いうことで、ドラマ開始早々に、ああ、と、わたしは思ってしまったのだけれど。それでもセリフ以外に出す展開から見えてくる要素で、ふむふむすごいな、と思ったところは何点かあって。
 この最大級ってのは、「もう自分は手を引いてやれない」と言った兄が、主人公のロードレースの練習中のワンシーン。ロードバイクで走る弟の後ろから、ママチャリを必死にこいで、それでも追いつけない様。いっしょに見ていた息子とこの兄を指さして体ぶつけあって、もう大笑い。いや嘲笑ではなく、楽しい笑い。脚本にあったのか演出なのか、数秒のワンシーン、これは状況・情景を描くのにかなり高ポイントなシーン。大拍手。
 周囲の人間を描くことに大きく要素をもったこのドラマ。自閉症の行動の、特に行動障害になる要素が高いところは大きく希釈されたものだったと思う。このことに何らかの不満をもつ関係諸氏という方々もいらっしゃると思う。
 ただ、このドラマは自閉症図鑑ではなく、受け入れやすい状態に希釈することで、一回一回の放映にこめたテーマが手渡されやすくなったということはあり、わたしには不満は特に無かった。見え透いた「感動の仕込み」も無かったと思う。ダウン症図鑑的要素とわかりやすい感動の仕込みをフル装備した「たったひとつのたからもの」とは、ちょっと対照的な構図。ちなみにわたしの好みは前者です。

*1:ドラマタイトルで検索で訪問される方のために今回はあえてリンクを本文中につけました