リツエアクベバ

satomies’s diary

私信のようなもの

 犬エントリね。この犬エントリで出てきたいくつか。
 まず、こちら。

犬嫌いを緩和する方法/メモ

 あのね。わたしの書いた犬エントリは、一部の愛犬家を傷つけるものなんだよ。わたしが経験した一部の愛犬家から受けたこと、そしてそこで影響を受け取ってしまったこと。このことを書くということは、またそれは、一部の愛犬家を傷つけることでもあるんだよ。そして傷つけてしまう愛犬家というのは、わたしが経験した一部の愛犬家とはだぶらない可能性の方が高いんだよ。
 だからわたしは、その傷つけた愛犬家の言葉は、黙って受け取らなければならない。
 でもね、黙るのはやめたんだ。
 文章というものは、読む人が読みたいように読む。その前提で、ということなんだけど、その前提で、ああ、って思ったんだ、コレ見て。

はてなブックマーク > メモ - 犬嫌いを緩和する方法

 文章というものは、読む人が読みたいように読むんだよ。その前提で、このブックマークコメントで、aozora21 さんのコメントがね、わたしのイメージのこの方の小気味いい切れが無いな、って思ったんだよ。そのことにね、ごめんなさい、って思った。だからごめんなさい、って言いに行ったんだよ。

残念な気持ち/メモ

 あとね、ここ。

己の関心はそんなにも簡単に無くなってしまうものなのか/歓楽叶わぬ納骨堂庭園

 あのね、いいんだよ。文章というものは、読む人が読みたいように読むんだよ。だからわたしが書いた「犬という生き物に、たいして関心を持たなくなっていった」って文章を、誰がどういう風に受け取ってもいいんだよ。いいんだよ、それで。「他人のせいにするにも程がある」って思ったっていいんだよ。
 たださ、この辺見て、あらら〜って思って。

 好ましい影響ととられても、好ましくない影響ととられてもいいんだ、わたしは。でも↑をつらつらと見て、一応説明しておこうかなあ、って思って。
 「犬という生き物に、たいして関心を持たなくなっていった」ってのはね、犬よりも見ちゃうんだよ、飼い主をさ。そうなっちゃったんだよ。
 たとえばね、娘が小学生のとき。朝は最初は娘を学校に連れて行き、それから、そう、けして軽くはない知的障害があるって娘が付き添い無しで登校ってのをできていくことのためにさ、少しずつ離れて。で、尾行したり隠れたり別の道を走って先回りしたり、って、そうやって朝の通学路を徘徊してる時代。朝って、犬の散歩が多いんだよ。ちょうど小学生の登校が終わる頃に、犬の散歩は多くなるんだよ。で、わたしは帰りによく出くわす。
 朝の公園。ドッグランの場所ですよ〜ってなってるとこ、あるんだ、帰り道にね。引き綱はずして走り回る犬。一匹のときもあるし複数のときもある。そうだよね、子どもが絶対に公園に来ない時刻だよね、ってとこはあると思う。幼児が来るのにもまだ早いよね。でもわたしはその、犬が走り回ってる場所を突っ切って帰った方が早いんだ。わたしは犬が走ってても平気だけど、わたしが犬が嫌いだったら、そこ通れないんだな〜、とか思うんだよね。
 そんなこと思いながら、でもその方が早いからそこ突っ切って通る。そのときにさ、犬がわたしのとこに走ってきたりするんだよ。
 前はさ、そういうとき、わたしは犬を見てたんだよ。でも今は見てるのは犬じゃないんだよ。飼い主なんだよ、どうすんのかな〜って思わず見ちゃうんだよ。犬がわたしの方に走ってきそうになるだけで、さっと犬を呼び寄せる飼い主と、近くに行って飛びつきそうになるまでほっとく飼い主といるんだよね。まあ、そこ突っ切ろうとするんだから後者の判断でいいとは思うんだけど、いいとは思うんだけど、でもやっぱり飼い主がどうするのか見ちゃうんだよね、犬じゃなくて。
 家の近くの公園でさ、わたしがよく通る道から見下ろすようなとこにある公園。ここもさ、午前中、引き綱はずした犬が複数でよく走ってるんだよね。隅の方に砂場があって。そこに幼児がいて。その砂場とさ、ブランコとかすべり台とかの遊具ってのの間の空間で、犬は走ってる。その公園はさ、近くの保育園の子たちが来る曜日ってのがあるんだよね。その曜日には犬は走ってないけど、でもそのかわり、砂場にいる幼児は走ってるんだ、ブランコとかすべり台とかの遊具の方にね。まあ地域の公園を「曜日で分担して利用してる」って考え方ってのもあるだろうとも思う。でもその分担の主導権握ったのは誰かな、とか、つい思っちゃうんだよね。思っちゃうんだよ、走る犬の楽しそうな姿より、そういうことをさ。
 ちょっと細めの道とか、歩道とかでもさ、リードを長くしてる人とすれちがうときに、やっぱり犬じゃなくて飼い主を見ちゃうんだよ。その長さって、世の中に犬が苦手な人がいるって思ってないよね、とか思う。だってその犬がこっちに向いて動いてくればわたしの足なんて簡単に匂い嗅げちゃうぜ、みたいな。がたがた言いはしなくても、快ってわけじゃないと思うよ、って人はいるんだな、ってわかってきたからさ。前はさ、そんなこと考えずに犬見てたよな、って思うんだよ。
 あら探しってことでもないんだよ。ああすごいなこの人、きちんとしてるんだな、って思う飼い主もたくさんいるんだよ。犬じゃなくて飼い主見るようになっちゃったから、そういう人にも出会うってこと、多いんだよ。
 ペット否定派の文章って、読むと、なんかこじれてるって感じがするもの、多いんだよ。で、わたしが書いた犬エントリも、そう感じた人って多いんじゃないか、とも思う。でもさ、こじれたくてこじれたわけじゃないんだよ。だからなんかこじれてる感じの否定派の文章読むと、まあいろいろあったんだろうな、とか思うんだよね。
 親バカでもなんでもいいんだ、実際わたしメチャクチャ自分のガキ共、大好きだし。でも自分の言葉が少なくて、そのことで解釈いろいろ呼んじゃうなら、一応ぐだぐだと、そんなことも言っておこうかな、と思った。