リツエアクベバ

satomies’s diary

大反響

 11月29日犬エントリのアクセスが、ものすごいことになってます。はてブに加えて、まなめはうすRinRin王国、そしてそこからのリンク等。リファラがいっぱいになってくるとそれをひとつひとつ見るってことをすぐに投げてしまうめんどくさがりのわたしは、もうリンク全てを把握できていない状態です。
 元々の記事上げ動機は、冒頭にリンクしたhatayasanのブクマ群。んで、どんなこと考えてんだろ〜、と思ったこと。それと、hatayasanブクマ群を読みながら思ったことは、ペット否定派にいろんな理屈が必要になってくること。根っこのとこは、イヤなものはイヤ、ってことなんだろうな、と。
 以前視覚障害者の方に聞いたこと。盲導犬は万能じゃない、ってこと。その結論に対して(○○だから?)なんて推測立てながら聞いてて、ああそうかあ、と思ったこと。「視覚障害者にも犬が苦手な人はいて、そういう人は盲導犬の力をどんなに力説されても、家の中に犬がいる生活を選べない」と。
 これに関しては、個人に聞いた話なので、まあ別の視点観点意見なんぞもあるかもしれないけれど、わたしは、は〜そうかあ、と、すとんと理解をした話ではありました。気づかなかったな、とも思った。
 ってことで、イヤなものはイヤ、ってとこをちょっとごり押ししたようなエントリになりましたが、興味深かったのは、言葉少ないトラックバック。「快哉」とか「縦振り」とかね。
 でかい犬の圧迫感ってのも、犬が苦手な人にとって大きいのだな、と思う。わたしは子どもの頃、でかい犬が欲しかったのでね、そうかあ、と思う。でかい犬、セントバーナードが欲しかったです。う〜ん、あえて言えば、犬に父性を求めるような感覚だったかもしれない。だから大きな犬に威圧感ってのはなかったですね。
 ちなみにこの希望は親に簡単に却下されました。でかい犬は餌代が大変だから、アンタの食費を削るよ?いいかな?みたいなことを言われて、簡単に希望を取り下げた根性の無いヤツです。
 本文中の「でかい黒い犬」の話。娘が小学生、息子が幼児期。わたしは娘の手を引き、息子は「ノーリード」で歩いていました。そこに前方から黒いばかでかい犬の散歩に出くわしたわけだ。わたしと娘はまあ普通にすれちがったわけだ。息子はすっと、わたしの陰に移動。
 この移動がおおげさに見えたのか、黒い犬の飼い主は息子に声をかけたわけです、「怖いのかな」と。
 まあ言ってみれば善意みたいなもんでしょう、「怖くないんだよ」と。確かに黒くてばかでかくはあるが、犬が苦手ではないわたしの目から見て「怖くないんだよ」と言える類の犬だったとは思う。
 いや、でもそうやって声をかけていただくことによって、飼い主がこちらに注意を向けることによって、犬もこっち側に「前に出る」わけですよ。そして「怖くないよ〜、さわってごらん」、犬、さらに前進。犬が苦手な息子にとってはそう見えるわけだ。
 究極、好意なんだと思うんですよ、でも、その好意は好意にはならない行為ってこともあるわけで(注:シャレ混ぜてしまった)。この頃にはわたしは息子の「犬苦手」は熟知でしたので、まいったよ、やめてくれよ、降参だよ、って感じで「すみません、やめてください、犬が好きな人ばっかりじゃないんです」と言ったわけだ。言ったときに言いながら思いましたね。この人は、わたしは子どものときにでかい犬が欲しかったんだと言っても絶対信じないだろうな、と。「怖くないんだよ」のタイミングのときに、「いいです〜〜」って走って逃げればよかったのかな。
 好きだの苦手だのイヤだのなんだのってことは、もう理屈ではないことで、いろいろな感覚があると思うので、結論が出せる話ではなく。たくさんいただいたトラックバック群に関しましては「拝読しました」ということで。
 はてなブックマークのコメントで、「娘と息子の感覚の差は?」というのがありましたが。
 これはそもそもの個性が関わってきているようにも思います。わからない、単なる推測。娘は未知のものにはまず手を出す。息子は慎重ですね、娘より様子をうかがってから、という要素が強い。それともうひとつ、息子の持っている個性として、もしも彼が好きになった女の子が犬好きだった場合、多分、苦手克服にがんばるでしょうね、彼は。わたしは今のところ、彼の苦手克服に対して、彼のモチベーションになるようなものを持ち合わせていない、ってことかもしれない。わからないけどね。ただ、今はわたしは、彼の「イヤなものはイヤだ」ってことを理解していてやりたいとは思います。