リツエアクベバ

satomies’s diary

人生を「書く」という行為:2

 まっち〜んち、更新。行け行け、まっすぐに進みなされ。続いていく戦いの経過、まだまだ続くんだしね。ふむ、前に出してたよな、と思って、わたしは記事検索窓に「海外旅行」なんてワードをぽいっと放り込んでしまいましたよ。

私のモラハラ体験は、一緒に生活していない以上、一旦終結していると言えると思います。
が、やはり夫との関係は終結していないので、離れてもなお、モラ被害が継続しないとはいえない状態です。
夫は生活費や養育費を支払わず、うつ病を名乗って入院名目で会社をずっと休んでおり、あろうことか会社の同僚とスノーボードや海外旅行に出掛けているようです。

 まっち〜んとこの過去記事読みつつ、ふと、まっち〜脱出の頃、まっち〜と一緒に、友人とこの掲示板でおしゃべりしていた人を思い出す。夫婦仲の不安定に悩んでいた彼女。わたしがちょろっと娘の話を出したときに、この方、ごきょうだいの話をちょろっとされて、なんというかそうだったのかなんて思ったことアリ。(あなた、「障害児のきょうだい児」だったんかい…)とね。
 この彼女、確かブログ始めてたよな、と、今も存在はしてる当時の掲示板にURLを拾いに行く。閲覧で一方的に再会し、愕然。ガン闘病記になってた。発症、気づき、受診、告知、闘病と続いていく中で、夫婦仲に悩んでいた当の相手のダンナが彼女に対して優しく、そして闘病を支える大切な存在になっているのを見て、衝撃の中で安堵と喜び。受診、告知後に自分の病名をネットで調べて、同病の方を見つけた、と。そしてその相手に支えられ、実際に会いに行く段取りをつけつつ、結局その人はその約束の前日に亡くなられた、と。それが半年近く前の記述。彼女の現在の病状は、化学療法が効を奏して好転しているようで、そのことはとにかく喜ばしい限り。
 ざくざくと過去記事を掘り出して読みながら、彼女は自分が記していくブログに支えられて歩んでいるんだなあ、と思った。書くことで冷静さを保ち、書くことで別の角度からの認識を持ち、そして書くことで他者から支えられていく。人生を「書く」という行為、そしてそれが手を伸ばせば手に入るということ。媒体を利用していくことで得ていく力、なんてことを改めて認識する閲覧になった。「頼むから、がんこちゃん大人しくしててよ(絵文字付き)」なんて記載は、ホント、ブログならではこそだよね。