リツエアクベバ

satomies’s diary

天候不安定と、障害児のきょうだい児

 この土日、早朝から起きだして、電話を横目に見ながらうろうろ。実は土曜日が娘の養護学校も息子の小学校も、同日で運動会という日程。夫婦で両校に単独参加を予定していたところ、天候により順延の連絡網が早朝入る。
 土曜日両校とも順延の連絡、そして今日日曜日、6時半、6時45分とそれぞれの連絡網が入り、今日も順延。天気予報なんぞを眺めつつ、多分娘の養護学校は月曜開催、息子の小学校は火曜日開催に決定されるんだろう。(息子の小学校は日曜雨天の場合は日曜に月曜の授業があり、月曜はもともと休日になってる)
 昨日から「さて困った」という事情発生。息子発熱。本人運動会には出たがっているため、担任に連絡を取り、日曜開催の場合、本人が出たいとこだけ様子を見つつ連れていくなんぞと打ち合わせ。しかし本人の期待通り雨は長引き、火曜開催なら様子を見つつ参加はできるだろう。
 さて、問題は月曜日。息子の小学校は休校、娘の運動会は開催(多分)。この場合、息子の体調が普通になんでもなかったら、連れていくわけで。平日だしね、父親は出勤だ。
 しかしなあ、今日、朝から37.9度ですわ。今日熱が下がったとしても、あさっての参加のことを考えたら、月曜は一日家で安静ってヤツにしておきたい。これは本人も希望するところ。
 んじゃ、月曜、半日、息子を家で一人おいておくんですかい? ってことになるわけで。できるかできないか、っていえば、もちろんできますよ。もう小さい子じゃない、6年生なんだからね。
 しかし実際それができるか、っていえば、できね〜よな〜〜、と思う、わたしは。障害児のきょうだい児、という立場の人間が一人で抱え込む心情として、最後の大事な時期にさしかかっていると思っていますので。きょうだい児として「姉の障害」ははっきりと認識してきており、それに関係してくる自分の事情なんてものも飲み込んできてる。口に出さず黙って我慢することも増えてきてる。だからこそ、実に重要な時期という認識があるんだな、わたしには。
 だいたい、そういう要素に関して、象徴的に記憶に残るもんなんだよね、学校行事というものは。「ハッピーバースデー」の映画でも、障害児のきょうだい児の「我慢」を表すシーンで、確か運動会という行事の映像があったような記憶がある。
 娘の学校行事というものは、わたしはとても楽しい。シーンシーンに見られる子どもの成長の姿というもので感じる喜びは、息子には悪いが息子の比じゃない。だけどね、息子の運動会は「小学校最後の運動会」であるわけで。わたしはそのことに対しての「共感」を大きく持っていてやりたい。せっかく中休みが入った日程で、体調を心安らかに万全にしてやりたいんだよね。
 っつ〜ことで、明日(多分開催)の娘の運動会は、保護者が一緒にとる昼食にすっとんで行って、それが終わったら即帰りってことにしようかな、なんぞと考えております。大事なときに母がいない、ってことに対しての心理的リスクは、娘よりも息子の方が高い。そしてその心理的リスクを持つ時期は、長い目で見ればたったの一時期で、そしてそれがもはや「最終段階期」に入っているはず。アイツは生まれてから、そして死ぬまで「障害児のきょうだい児」をやってくんだから、そのくらい手厚く成長期の心理を考慮されて当然か、と思うわけでありますよ。
 実際、そんなことを彼に話すときに、黙って聞きつつ、その対応に対して反論は唱えないんだな。姉の障害の対応を理由に我慢させなきゃいけないときには、すでにかなり聞き分けはよくなってるわけで。しかし「オマエ中心に動くぞわたしは」ってことに対して反論は唱えない。ココだよ、ココ。大事な時期の最終段階って意識するポイントはね。
 もうちょっと息子が小さかったら、それこそ「父親欠勤要請」なんぞ出すんだけど、そんなオオゴトをやるほどには、もう息子はそこまで小さくはないわけで。父親を欠勤させた、という自覚を持っちゃいますよ、この年齢じゃ。もうホント、ビミョーだよビミョー。
 ったく、天候だの体調だの、くそめんどくさいことをしてくれる展開だわい、とため息つきたくなるけど、ベストの選択目指して頑張りますわ。