リツエアクベバ

satomies’s diary

親の選択、個人の意志

普通学校へ進学させた親を怨みます。脳性まひの男性:Birth of Blues

就学先選択の理由はいろいろだと思う。話題になっている女の子の入学に関しても、報道の情報だけではなんとも言えないなあと思う。就学先選択で難しいのは、知的な障害が無いまたは軽いレベルのお子さんだと思う。
以前知人に、「身体障害の程度は重いけれど知的な障害は無い」子どもを普通の小学校に進学させた方がいた。わたしが東京在住時の話なので10年以上も前の話なんだけれど。この方は「障害があっても普通学校絶対」というわけでもなかった。肢体不自由児対象の養護学校に見学に行ったり連絡を取ったりしたときに。先方から婉曲的に「難しい」的なことを言われたのが発端だったという話。肢体不自由児対象の養護学校は、障害の重度化の傾向が強く児童生徒の大半が重い知的障害を伴うレベル。通常の学力をもつ児童の教育に関して、はっきりした答えを出しにくいとこがあったというような話だった。
この方とはまた別の、子どもを肢体不自由養護に入学させることを希望する友人といっしょにこの方の行かれた学校とはまた別の肢体不自由児の養護学校を見学に訪れたとき、先方に聞いてみた。通常の学力をもつ知的レベルの生徒さんの人数はどのくらい?という質問。全校生徒の中でたった二人という話だった。それでもその生徒たちの「教育」には責任を持ちますという話だったのだけれど。
知人から聞いた婉曲的「難しい」発言はもちろんその母親からの伝聞で、どんな風にその母親がその「婉曲」という空気を読んだのかははっきりとはわからないけれど、この「全校生徒中二名」という数字から普通学校選択の根っこの部分は理解できるような気持ちになった。
その普通の小学校に進んだお子さんの入学後に関しては。一年生で得られていた支援が二年生では難しくなり、その後学年が進むにつれてどんどん困難さが増していくような感じだった。全校で一名というタレント性も、そんなには長くは続かない現実という感じだった。
肢体に障害をもち、知的障害をもたない。そうしたケースの当事者である方の著書がある。新聞で読んで購入して、ずいぶん長い間大事にしている一冊。

神さまに質問―筋ジストロフィーを生きたぼくの19年

92年発行というずいぶん古い本で、状況はずいぶん変わっているのかもしれないけれど。ここでこの本をもってきたのは、この書籍の「本人」である方は小学校は通常の小学校の通常の学級に在籍し、中学から自分の意志で養護学校を選択したこと。その理由は「行事に全て参加できること」。母親は最後まで学区の中学の進学にこだわった。でも息子の決断に対して「障害者として生きていく覚悟を本人がもった」と理解する。そして「息子の自立は精神的にも肉体的にも、この進学から始まった」としている。「本人」は、進学から「みちがえるように生き生きとし始める」。自分視点での希望に関しての本人の記載も存在。
また、「何にでも挑戦!!」というタイトルの中学部時代から、「死と向き合った青春」というタイトルの高等部に移っていく。筋ジストロフィーという難病のもつ、自分にふりかかってくるかもしれない現実と向き合うというときに、養護学校の高等部という環境がプラスに反映されていっているのが見えていくような感じがする。
と、この本に出てくる方は「特別ではない参加」を学校に望んだけれど。「通常の学校の学力を目指した参加」を通常の学校に望むケースの方がいらした場合は。それはその方の意志であると思うので、尊重される支援を望みたいところだなあとも思う。
先日、ろう特別支援学校の保護者の方と話す機会があったのだけれど。聴覚障害と知的障害を合併されるお子さんも進学される中で、学力に応じたクラス編成は「最初っから」されているという話だった。なるほどなあと。障害に応じた教育もなされるべきだけれど、その方の可能性を想定して学力に応じた教育もなされるべきだよなあとも思った。特別支援という中でこの部分が犠牲にされるのは、それはまた問題なのではないかとも思った。
娘に関しては、知的障害ばりばりタイプなのでこの話とはまた方向が違うのだけれど、ひとつ上げるとすれば。小学校時代、小学校の運動会と他の小学校と合同の「障害児学級だけの運動会」があった。後者の方が「一生懸命」走る。前者は環境から学習したものなのか「応援するギャラリーを意識した走り」をする。暖かい応援はありがたいことではあるけれど、子どもの成長の姿という視点で親としてわたしは後者の方が好ましい姿だと思った。そのことは学校選択の視点のひとつに反映されているのだろうとも思う。