リツエアクベバ

satomies’s diary

人生を「書く」という行為

 まっち〜んとこの連載で、「調停準備5〜戦いの日々〜」を読む。
 コメント欄を見ながら、人生をブログに「書く」という行為は、難しいな、と思う。自分にとっては「連載」で、いっぱい書いてるつもりでも、人には残っていかない記載というのがあるんだろうな、と。
 15万の生活費を打ちきられた、と。そのことに対して、別れようとしているダンナから金をもらえると思っていたのか、なんていう、コメント欄に残される感想。
 一個の記事で見れば、まあそういう視点も出てきておかしくはないんだろうと思う。ブログだしね、連載って形にしてても、そういう限界はあるんだろう。ただ「全部読みました」なんていう記載が出てくる中で、こういうコメントも出てくるんだなあ、なんて思った。
 ま、別にね、そういうコメント出す感想に対して、わたしは何にも思わんさ。そりゃしょうがないと思うさ。ただ、15万の生活費を突然打ちきられるということに対して、愕然とする思いの裏側ってのがあるんだろうな、と。そういう風にはならんのかな、なんてことを思う。子どもがどうの、とかいう、一般的な正論とかじゃなくてね。
 だってねえ、書いてるわけですよね、過去にね。全部読みました、なんてコメントがあったって、過去記事全部読んでる人もそんなに多くなかろ。だから仕方ないんだろうな、なんて思うんだけどね。
 そして本人、その反応にじたばたするのもかっこ悪いしね。まあ、そのまま行けよ、なんてことを思う。その上で、あのね、ってとこは、まあ、こそこそとあげておこうかな、なんて思う。

給料は全部私にくれていたが、浪費が酷くて、
私がOL時代に蓄財した貯金をいつも食いつぶしていた。

2002年冬 不倫相手登場、複数の女性とメール、食事、プレゼントの数々。
       発見した妻が取り乱した時、顔を思い切り殴られる。
       唇が切れ、口中から出血。
       妻離婚を言い渡す。
(中略)
2003年夏 夫の浪費が依然酷くお金がないのに、どうしても
       外車の購入を希望したので、反対すると
       話し合いの最中に夫が激昂し顔を踏まれる。
       妻、アゴが外れる。その際 
       「どうしてもお前をこうしたかった」と言われる。 

さんざん嘆願したにもかかわらずこのような調子で受け入れられず、素直に言う事を
聞かなかったのが原因で夫は3日3晩帰宅後深夜に至るまで、私を罵倒し続けた。
私は泣きじゃくり、夫は激昂するという図式が、三夜続いたのだった。
3日目の夜、「もうどうでもいい・・・」観念した私は、自分の貯金で、泣く泣く夫の望むアメ車を購入した。

 まあ、人は、読みたいとこしか読まない。記憶したいとこしか記憶しない。それは前提であるんだろう。その前提をもって、反応に動揺すんなよ、と思うよ。
 わたしゃ、これ、進行形で聞いてるさなかに、特になんにも言わなかったけど、(さあて、ダンナが彼女の独身時代の稼ぎから持っていったお金で、オヨソの女性に使っていった金額はいくらでしょ。アメ車はいったいいくらでしょ。)なんてことは思ってたよね、と思う。浪費する金くれって言ってるわけじゃない、子どものための生活費だよね。生活費を突然打ちきられるってことに対しての愕然、ってのは、こういう歴史ってのが、かなり心理的にも影響していくもんだと思うよ、わたしは。
 でも、こういう記載を全ての人の記憶に残させるなんてことは、ひどく難しいことなわけで。不可抗力、だよね。
 「自分をわかってもらいたい欲」よりも、こうやって赤裸々に残していくものに対して、誰かが何かを拾っていくこと。そのことを信じれば、たいしたことじゃないさ。