リツエアクベバ

satomies’s diary

書かなかった話

 うちの玄関には、その両脇にたくさんのビー玉が敷き詰められています。どのくらいの数のビー玉かというと、高さ1メートルくらいの麻袋にぎっしりと詰められたくらいの数でした。直径2センチくらいの大きさのものを基本に、それより小さい色がカラフルなものが混ざっています。
 玄関にそんな数のビー玉がごろごろとありますから、遊びに来た子どもは欲しがります。断ります。どんな年齢の子どもたちにも同じことを言っていました。
「ダメよ、これは。とても大事なものだから。わたしの大切な友達がくれたものだから。その友達はもう死んでしまったから。」
 そしてつけ加える。
「死んでしまったお友だちからもらったものを『形見』っていうんだよ」
 その友人と知り合ったのは、わたしは16だった。15歳上の友人だった。この頃はわたしにいろんなことを教える相手だった。わたしの生活の変化に伴い、この友人との関係の間に数年の空白期があり、わたしは20代から再びこの友人と親しく関わるようになった。この友人は、40代の後半に亡くなった。
 仲良しだった。本当に仲良しだった。本当に大切な相手だった。この友人を知る人は、わたしとこの友人がどんなに仲良しだったかみんな知っていた。わたしは家族といっしょに骨を拾った。
 その夜、この友人は夢に出てきた。普通に存在して、普通に微笑んで、普通に話していた。そしてわたしに言った。
「もう簡単には会えなくなるし、話もできなくなる。でも『いる』から。」
 その時にわたしは気づいてしまった。そして大声で叫んだ。
「焼いちゃったじゃないか。もう体は焼いちゃったじゃないか!」
 友人は、ちょっと淋しそうに微笑んで消えた。わたしはこの友人の死を自分の中で納得させるのに、本当に長い年数を必要とした。今も手が止まり、嗚咽という状態になるから、まだまだきつい事実なんだろうと思う。
 玄関の大量のビー玉は、この友人がやっていた友達だけが集まるような小さな小さなスナックの、カウンターに敷き詰められていたものだった。形見分けとしてこの友人の妹さんにもらった。他に形見分けでもらったものは、大きな額入りの絵画がある。それはこの友人の店を飾っていたもので、わたしの母がこの店の開店祝いに贈ったものだった。わたしの両親も、わたしがこの友人ととても仲良しだったことをよく知っていた。
 この友人が亡くなる少し前のことを、吉本ばななが「夢について」というエッセイ集の中の短編に書いている。わたしはこの吉本ばななのエッセイを読んで嫉妬した。ここに出てくるこの友人は、本来のこの友人の姿と少し違う。この友人が相手に少しサービスするように自分のイメージを出すときに使う姿のニュアンスがある。でも吉本ばななは有名で、彼女がこう書けばまるでこの友人が「そうだった」ように事実になってしまうような気がした。わたしは吉本ばななが有名であることにそういう意味で嫉妬したのだった。
 そうしたイメージとは別に、このエッセイには、この友人が死に向かっていく様子を記述している。そう、この時期この友人は死に向かいつつあった。それがうすうすわかっていたのだけれど、わたしは障害をもった娘の生死すれすれの闘病と、その退院後のばたばたしている時期だった。死は病死だったけれど、生に向かいあえなくなっていたことは事実だった。
 「夢について」というこのエッセイ集に出てくる、この友人のことを書いた文章のタイトルは「老いたオカマよどこへ行く」というもの。いつかこの友人は自分の半生を本にしたいと。そのタイトルはこんな風にしたいと。そう言ったのがそのままこの短編のタイトルになった。「老いたオカマよどこへ行く」、この友人は、いわゆる「同性愛者」でした。
バリヘテ再生産現場:みやきち日記
 引用された部分の話題と話題の間の中で、実は書かなかった話がある。これは、このわたしの友人が同性愛者だったことを簡単に伝えたこと。今までわざわざ言わなかったのは言う必要が無かったから。この友人が亡くなってしばらくしてからわたしは妊娠した。命と別れて、命を身ごもることにわたしは助けられたと、そのとき身ごもった命である息子には話したことがある。ビー玉のくだりに関しても、すでに亡くなった存在ではあるが「おかあさんの大事な友達」として彼の中にはおさまっている。わたしは彼は同性愛者だったと簡単に告げ、息子はそのことをそのままさらっと受け入れた。「カバちゃんみたいだった?」と聞くので、「ううん、あんなになよなよっとはしてなかった。もっとオジチャンっぽい。でも時々オバチャンくさい」と答え、「ふうん」と彼はあいづちを打った。
 ハードゲイに関しては、息子は「ハードゲイ」=「HG」つまりレイザーラモンという個人となっているので、わざわざ「ハードゲイ」という単語の意味を教えなくてもいいか、と思ったということ。息子の言った「おかあさん、HGは男だよ、男が好きなはずないじゃないか」というフレーズに関しては、まあ彼がこの先出会う人間、出会う友人たちという経験がいるのだろうと思ってそのままにしておいたということ。息子に全て「教える」のではなく、彼は彼で彼の社会から吸収してくることを聞き、その上で機を見て話すということがあること、要するにそんな感じかなと思う。
 この、みやきちさんの記事の中で、障害者だったらというくだりがある。息子は幼児期に友達に「オマエのネエチャンは変だ」と言われて泣いていたことがある。わたしは「そうだよ、変だよ」と答えた。「でもわたしは好きなんだ」と。一般的に言って誰かが「変」だということなんて、個人が個人を認めるという上である種、わたしにとっては知ったこっちゃない。一般的に「変」という言葉を使うのなら、「変」は「変」で、だからどうだっていうんだと思う。いろいろな価値観はあるだろうと思うけれど、わたしにとってはそういうスタンスで、娘の行動や言動が変だろうとわたしにとっては魅力のある大事な存在で、ここにあげた友人だってそうだ。
 いや〜、どんな方がどんな風に閲覧するのか無限の可能性があるのだな、と認識。みやきちさん、複雑な思いを持たせてしまってごめんなさいね。と、いう思いを込めて、トラックバックしておきます、と思ったら、トラックバックもコメントも受け付けてないのですね。ふうむ、掲示板に行ってくるか。