リツエアクベバ

satomies’s diary

昨日

 先週は娘の学校でイベント。昨日の土曜日にPTA主催の催しがあった。
 隔週土曜休みの夫は休みが取れず。わたしは朝から学校へ行く予定。息子は部活が11時〜14時の予定。朝から誰もいない家を出て誰もいない家へ帰ることになるので「んじゃ、部活休んでこっち手伝ってくれる?」と聞いてみる。「手伝う」と言うので連れて行く。事前の打ち合わせで「手」として彼が組み込まれる。
 当日。いやしっかりがんばってくれました、ありがとう。
 で。なんだかかんだかの作業の合間、ちょっちょこちょっちょこ息子とふざけてたりしゃべってたりしていたときに「仲いいねえ」と言われる。へい、仲はいい、と思う。でも気になったそこに続けられた一言。
 「仲いいねえ。ちぃちゃんが妬かない?」
 ううん妬かない。妬くってことで言えば、小さなことで比較して気にしたりするのはこの子の方、と息子に視線をやりながら答える。「ああどうしてもちぃちゃんの方に手がかかるから、それを見て育ってるってことよねえ」と続けられてうなづいたり。
 う〜ん、そうなんだけど。それよかもっと複雑なような気がするけど二言三言の場ではそれ以上言うわけでもなく言うことでもなく、その場はそこでオシマイ。
 本当はそうじゃなくって。っていうかそれだけじゃなくって。コイツは幼児期にぎゃあと言った。いろんなことにぎゃあと言った。それは、ボクの世界の全ての人がちぃちゃんとボクを見るときにまずちぃちゃんを見て、そしてみんなが「ちぃちゃん」と姉を見て、そしてボクはいつも「ちぃちゃんの弟」だ、ってことだった。「ちぃちゃん、ちぃちゃん」と呼びかける人の群れに「ボクの名前を呼んで」と泣き叫んだのは2歳のとき。幼児期は姉と自分とどちらを先に見るかという斜めの視線を人に送ることはよくあり、姉ではなく自分を見てくれる人を選んでなついてたとこはあった。「ちぃちゃんにはいろんな人がいるけれど、ボクにはおかあさんしかいない」発言が幼児期に出るってことの重みはわたしの中に響いていると思う。だから息子が抱えたものは単なるおかあさんヤキモチより複雑だったと思う。彼の幼児期には姉の障害なんてことは知ったこっちゃなかったものだっただろうし。いや実際知ったこっちゃなかったと思う。幼児期の彼にとっては「どんなときでも弟に優しい姉」で、「他者の注目を集めている姉」で、そして個性の差として「自分が怖がるものに常に果敢に挑戦していく偉大な姉」だったのだから。
 でも。「ちぃちゃんが妬かない?」ってのは、単に関係性の問題での「妬かない?」であって、そういや娘に関しては、娘自身は自分に向ける社会の目なんてものは知ったこっちゃなかったかもしれない。では母子関係としては。娘は妬いているのか、妬いていたのか。
 昨日は。息子はよく手伝ってくれた。保健室の先生が息子に「バイト代は?」と声をかける。いやそんなこと考えてもいなかったし言ってもなかった、変な価値観与えないでくださいよう、と答える。
 そんな風に答えはしたけど。「いっぱい手伝ってくれたからね、今日帰りにマック寄って、マックフルーリー食って帰ろうか」と声をかける。「やったあ!期間限定イチゴショートだあ!」と本人歓声。それ以上の要求はしてこない。
 マック行って。カウンターに並んでいる間に息子が空席を見つけに行く。空席を見つけて娘を連れて行く。わたしはトレイを持って彼らのとこに行く。
 こういうシチュエーションで。彼らが4人席で対面に座って待っているところで(どっち側に座ったものか)といつもちょびっとだけ悩む。昨日はカウンター席に座っていてその両側が空いてた。いつものように(どっち側に座ったものか)とちょびっと悩む。そしていつも座るのはいつもいつも座るのは娘の隣。
 そういうわたしにふっと視線をやる息子。いや視線をやるのかその視線に対してわたしが変に細かくなってしまっているのか。それはわからない。でも。常に存在するシチュエーション。こういうシチュエーションは「食べるとき」なわけで、まあそれなりに必要あってのことだしね。
 わたしと息子は仲がいい。でも娘はそれを妬いているのか、妬くのか。ふざけて遊んでいるときには「いっしょに」ができる。では「会話」のときは。娘にとってはちんぷんかんぷんの時間があるわけで。これを娘はどう思っているんだろう。
 でも。3人でいるときに「どっちの隣におかあさん」? こういうシチュエーションでは娘はいつも「正妻」のような立場なわけで。同時並んでどっちに手が必要か、という意味ではいつも娘は「正妻」のような場を勝ち取る。息子が成長して手がかからなくなっていけばその位置は揺らがない。
 そして。息子は発達上、「姉」を追い越した。今は姉の障害を認識し、また自分がすでに追い越したことをはっきりと認識し、彼は「兄」のような立場になってる。娘にはおおらかにとても優しい。
 子どもが二人になったときに。子どもが二人になるってことは「二股」なんだと思った。今まで「愛情の二股はいかん」的な常識の中にいたのに、突然「二股をうまくやっていくことはオマエの使命」となったわけで。
 「仲いいねえ、ちぃちゃんが妬かない?」
 ぽんと投げかけられたこの質問。本当の答えというものは。ああ妬くでしょうね、妬くかもしれませんねえ。でもわたしは頑張って二股やってますよう、ってことかもしれないな、と、思った。それと。「二股」にぎゃおぎゃお言ってた息子が、今はその「二股」を助けてくれるようになったのかもなあ、とも思った。
 今日。息子との対話の中で娘の学校の保健室の話になる。普通の学校とちがうでしょう?わたしは最初に入ったときにいろいろもの珍しかったよ、アンタはどう思った? 保健室の先生は二人いるんだよ、普通の学校より丁寧にみなきゃいけない子が多いからね。あのさ、歯医者さんにあるみたいな椅子があったでしょう?ああアレもへえって思ったよね、とか。
 こうやって、息子はいろいろに詳しくなっていく。それはそれなりに世界を広げているってことかもしれない。そんなのもわたしにとっては小さな救い。