水漏れ被害の修復のリフォームの件で、建設会社の人が来た。注文建築でこの家を建てた時にお世話になった方で。夫とふたりで、ここをどうするとかここの材料はとか、よく話し合ってたなあと。久しぶりにゆっくりお話しできる機会になって、なかなかに楽しかった。
この方も夫もわたしも、25年前は若く。子どもたちはまだ子どもだった。
リフォームの話をして、昔話をして。なんとなく2011の地震の話になった。
そして、この家の耐震構造の話になった。
わたしは夫に、あいまいにしか聞いていない。
「ねえ。このおうちは地震が来ても倒れないんだよね?」
それはわからないよ、と、夫が言う。え?なんで?だって倒れないように作ってあるんでしょう?と、わたしが聞く。
「計算上はね、倒れないようには作ってあるよ。計算上は要所要所で基準よりずっと太い柱を使ってるし、構造上も強く計算はしてある。でもね」
「自然に対しての計算っていうのは、過去のデータを材料にすることしかできないんだよ。自然はいつも新しい驚異をもってくるんだよ。計算ってのはそれを追いかけていくしかできないから、未来の危険に対しての計算には限界がある」
「だからわからないよ」
安全神話 - リツエアクベバ
今日、具体的な話が出た。よくわからなかったので、夫に聞いた。まず「すじかい」という単語がわからなかった。
このおうちは、通常の家よりかなり多くの筋交いを耐震のために入れているのだそうだ。
地震というのは、どちらから揺れるかわからず。こちら側がダメージを受ける揺れがあった時に、逆側の「家の半分」がそれを支えられるように。またその反対側の揺れの場合も。という計算になっているのだそうだ。
ただそれは、あくまでも「計算上のこと」。
夫にとってはそういうことらしい。そしてその要望を形にした側にとっては、印象的な建物として位置づけられているということだった。
なるほどなあ、と思った。