はてなブックマークとTwitterを連動させている。ブックマークをつける時に連動を外すこともある。ブックマークをつける時にコメントを入れないこともある。
今回はコメントをつけ、連動をさせた。メモがわりと思ったことの吐き出し。
twitter.com本文もブックマークコメントも全て興味深い。「知的障害児が生まれる」ことをふつうに危惧する時代を感じる。他人事が大半だった時に「見えない子ども」だった層が、今はふつうに暮らせてるということかなと。 / “知的障害児の母親が忘れられない 追記” https://t.co/NpyfcIPQhj
— satomies (@satomies) 2021年1月28日
いいねとリツイートの通知が次々にくる。別に何がどうしたということでもない。海に流して埋もれるはずの数行を、発達障害の専門家である「ヒゲ医者」がリツィートしたのがきっかけ。
この「ヒゲ医者」がとりあげたツィートは、3年前のものでもいまだにポツポツといいね通知がくる。2万近いフォロワーがいる人の影響力はさすがだなと思う。
今回のツイートは、思ったことそのまま。当たり前に他人事顔をしていた、通り過ぎていった人たち。この文章の周囲にいる「知的障害児が生まれることを危惧する人たち」は、これから出会う「親たち」にどんな顔をするのだろう。
この文章の感想に出てくる「子どもをもつことはそもそもガチャ」というフレーズは、まあほんとにその通りですと、それをこんなふうに言い表すことができるのだなと。その言葉の意味と、もってくる言葉のセンスの見事さにほれぼれする。
そもそもガチャなのは子どもだけじゃない。親を選べないことも、生まれた土地を選べないことも、生まれる時代を選べないことも一緒。だいたい今の時代の日本に生まれている時点でガチャ運はいい。
もたされたものを手に、こつこつと生きていく。そもそも人生とはそういうもの。
感想のコメントで「親」もいた。愛情、幸せ、花畑ちっくがうろうろしていないことに安堵する。わかるが、だから?という気がしないでもない。愛情も幸せもあるが、苦悩もある。ふつうじゃないのだから当たり前のこと。
知的障害児が生まれた時に、親だのなんだのということではなく、単純に「この小さき弱きものをどう守るか」的なものに応える人物が必要になる。
人はそこに「母性信仰」をもってこようとするが、そんなにうまいこといかないケースもある。
「母が受容できず、父が受容する」
このパターンがなかなか厄介なことがあるよなという感想がある。父親が受容することで母親が「夫に人間として責められている」と感じてしまう要素がある場合のところ。父親が頑張っても夫婦の中で報われない。難しい。これはそれぞれの人格よりも、「母性信仰」にわたしたちが毒されてきた部分だと思う。子どもを産んだ女は辛ければその母性信仰を投げ捨てて、素直に男を頼ればいい。
「親は子どもに対して無償の愛をもつものだ」
これは嘘だよ。これが本当だったら障害告知にショックを受ける人なんていない。
子どもはどんな親でも赦し続ける。それは「無償の愛」だと思う。これが真実なのだと思う。ただし、これは締切の時間がくる。いつまでも赦されると思うのは傲慢でいわゆる「毒親」なんでしょうね。