リツエアクベバ

satomies’s diary

夕食

さて、娘と息子とやっと再会できて、夕食にしようと。舅と義妹はすでに夕食は済ませていたとのこと。「石油ストーブにヤカンがのってるからお湯は目の前にあるし、カップラーメンならすぐ食える。カップラーメン持ってくるからここで待ってなさい」と自宅にカップラーメンを取りに帰る。懐中電灯の灯でカギをあけ、家の中に入る。真っ暗。食器棚の上にのせてある普段カップラーメンを常備してあるダンボールを下ろす。懐中電灯をかざしてカップに書いてある「味」を確かめる。豚キムチとか坦々麺とかは娘は食べられないので避けるため。年中腹ペコ息子のための常備なので「スーパーカップ1.5倍」とか「ごつ盛り」とかデカいヤツしか入っていない。これとこれとこれとこれかとスーパーの袋に4個入れる。ヤツはこのサイズを一度に2個食うので3人で4個。
ああそうだと電気のつかない冷蔵庫のドアを開ける。停電いつまで続くのかわからんし、なんもかんも腐るかもしれないけれど。でも料理なんてのはできる環境じゃないし、電子レンジが使えなきゃ冷凍モンも役には立たない。せめてこれだけ、これは持って行こうとヨーグルトドリンクのパックを出す。紙コップ無かったっけ、ああそうだ、割り箸が要るとごそごそ。
再度実家に戻ると、ロウソクの火に灯された食卓には正月の祝箸がおかれてた。すぐ出る割り箸がそれだったと。いや割り箸出してきた、大丈夫と義妹に告げる。カップラーメンを出して懐中電灯をかざして読む。なんだどれを先に入れるんだどれを後に入れるんだとしちめんどくさい。こういう時は湯さえ入れればいいカップヌードルが最高だね、多分。
夕食準備を息子に託し、娘のカバンから娘の携帯を取り出す。わたしの携帯はもう電池がヤバい。つながらない電話をかけ続けたり、ネットで情報を確認したり、暗闇で表示を明るくさせ続けたり、すっかり疲弊させてしまった。電池バリバリの娘の携帯から再度夫や自分の実家の両親にかけてみたけれど、やっぱりつながらなかった。
「まあいいや、もう仕方がない。大人は大人なんだからなんとかするだろ。子どもたちが手元に戻ればそれでいい」と、なんとなくぼそっとつぶやくと、義妹がなんだかんだと言い始めた。何をどう言われたのか覚えてないけど、思わずわんわんと言ってしまった。「もう何度もやった、何度もやった。いろんな方法も試した。だから電池がもう無いんだ。でも、かかってくるかもしれない分の電池は残しておかなきゃならないじゃないか」。言ってから、ゴメンと言う。ああ駄目だ、やっぱり自分も非常時だ。
カップラーメンにお湯を入れる、時計を見る、何分までだ? 孫とおじいちゃんでコンビ組んで動いてた、おじいちゃんはあかり係。手に懐中電灯を持って、息子の手元や時計を照らす。そうやってせっせと準備をしている間に、やっとという感じでトイレに行く。トイレに行くにも懐中電灯が1つは必要。停電には懐中電灯がいくつも要るんだと学習する。そして懐中電灯をもって行っているにも関わらず、手は自然にトイレの電気のスイッチをつけ、その行動に苦笑する。
トイレから戻ると義妹と息子が同時に興奮気味に「電話が鳴った」と口々に言う。わたしの携帯が着信音を鳴らし、でも出る前にすぐに切れてしまった。電波が不安定なりにもなんとかかかる状況になってきたのかと。夫からの着信だったとのこと。もう一回かけてみようかとかけてもつながらなかった。3分だのなんだのが経ち、割り箸を手にカップを開いてラーメンを食った。何味だかなんだかってのは全く見えなかったけれど、麺がけっこうおいしかった。「あらコレ、麺が美味しいね」とか言いながら、自分が食ってるのがどこのなんというラーメンかは見えないのでわからない。でもやっとありついた夕食は美味しかった。
夕食を済ませてそのままなんだかんだと義妹としゃべってた。ラジオはずっと情報を流し続けていたけれど、マグニチュードとか津波とか関東大震災を超える規模とか、そんな類の言葉は入っていたけれど、なんだか興奮状態というかなんなのか、流されている情報はちっとも頭に入ってこなかった。ただ暗闇の中でロウソクのそばで火の無いコタツに寄り添っている安心はあった。さっき行った真っ暗な自宅の光景を思い出して「もう少し、ここにいさせてね」と義妹に言った。義妹が微笑んでうなづいた。
そんなこんなの時にまた電話が鳴った。夫からの着信で、今度はうまくつながった。
無事だのなんだのと言い、電話がどうのだのなんだのと、義妹や舅や子どもたちの顔を見ながら話す。夫は職場から動いてないとのこと。交通網は麻痺していて、今動き出しても危険だろうと。テレビを見ながら状況の様子をじっと見ているところだと。テレビによれば状況はこうでああで…。と、夫が説明してくれているその最中に、ぱっと世界が明るくなった。
わあ、点いた、電気が点いた、停電終わった〜〜、と、部屋の中にいた人間が口々にみんなでそれぞれに叫び、受話器の向こうの夫はさぞうるさかったと思う。でもすぐにその喜びの叫びが驚愕の声に変わった。テレビで流れる映像に愕然としたんだ。ホントに本当に愕然とした。いきなり目の前に飛び込んできた映像、どこで何が起きているかもわからず、ただ目の前にとんでもない光景が次々と繰り広げられていった。ぎゃーわーと叫び、そして息を飲んだ。何コレ、なんなの、どうなっちゃってるの…。
それからの流れをよく覚えてない。電気が点いたから家に帰ると。それが先だったのか、夫の帰宅計画ってのが出てきたのが先だったのか、よく覚えていない。明るくなった家の中で「一緒にいられて本当に心強かった、ありがとう」と舅と義妹に礼を言い家に帰り、スイッチを入れれば電気がつくことに歓声を上げて喜び合い、そして夫は新幹線で帰ってくることになった。品川から新横浜へ出る、と。新横浜から拾えたらタクシーで帰る、と。「横浜アリーナに毛布が用意されて、帰宅難民の簡易宿泊所になったそうだ」と伝えたりした。ああそうだ、家に帰ってから、「新横浜に着いたら、市営地下鉄が動き始めた」ってのを聞いたんだった。あの時刻から携帯がけっこうつながったってことなのかな。あれ、わたしの実家とはいつ連絡が取れたんだっけ。とにかく家に帰って固定電話が使えるのがうれしかった、「混み合っています」とかってアナウンスを聴き続けるのだとしても。
とにかくキツい一日だった。いつまで続くのかわからない停電には本当に混乱させられた。それでも水も出ていたし、プロパンのガスも大丈夫だった、その日のうちに風呂も入れた。たいしたことじゃないんだろう。後日、すぐ近くの場所で夜中の1時過ぎまで停電が続いたと聞いて、絶句した。10時前の停電終了は助かったとしか言いようがない。日付が変わって少ししてから、夫が帰宅。やっと長い一日が終わった。