リツエアクベバ

satomies’s diary

不気味な夜の街を歩く

歩き始めたのが6時半を回っていた。懐中電灯で足元を照らしながら黙々と歩く。灯が全て消えた夜の街というものを、そういえば体験したことがない。灯が無くても街は街で、自然の中とは少し違う。真っ暗なのだけれど真の暗闇ではない。空と建物と自分の周囲はなんとか見える。街から見える空は完全な闇にはならないのか、とか思った。
ただ見えないことにはかわりはない。どこからどんな危険が発生してくるかわからないので、自ずと姿勢が慎重になる。駅が近くなって来た頃、右側の路地から突然自転車が飛び出してくる。突然だったけれど(危ない!)と思ったとこで、なんとか衝突を避けることができた。信号が消えてて街の灯も無く、そしてその自転車は無灯火だった、ふざけんな。こんな日に怪我なんぞしてられない、慎重さワンランクアップ体制。
あ、そうだそうだ、書き忘れた、コンビニのこと。作業所に行き着くまでに何軒ものコンビニを通り過ぎた。最初のセブンイレブンでは、暗い店内にお客を入れて買い物をさせてた。「乾電池はありません! 懐中電灯は全て売り切れました!」とお店の人が叫んでるのが聞こえた。次のローソンは閉店の貼り紙があり、次のファミマも同様だった。その先のローソンも同様だったけれど、その次のサンクスでは入り口の所に長机を出して、その机の上にサンドイッチやおにぎりといった日配品や、トーストやアンパンなどの類、カップラーメンなどを出してた。かなりの列がそこにできてた。それを見ながら(うちにはパンもカップラーメンもある、今夜はカップラーメンで夕食だな)と思ってた。いつも腹ペコで何時に何を食べても太りもせず体調にも影響しない高校生男子が家にいれば、常に「アンタ、こんなに食べるのかい?」というほどの食糧は常備してある。特に騒ぐほどのことでもない。それに冷蔵庫の中身が心配だった。この停電はいつ終わるんだろうか。冷凍庫、冷蔵庫、腐ってしまうのなら次から次へと食べなきゃいけない。今わざわざ買うよりも、どうせ腐るのなら誰かに担当して欲しいくらいだった。欲しいのは電池だよなあ、と思いつつ、どこが店を開いてても今日なんてもうとっくにどこも売り切れだよなあと思った。
帰り道は、さっき店を開いていたコンビニも大半がもう閉めてた。夕刻薄暗かった店内もすでにもう真っ暗で、店の中に人を入れたら大変なことになるだろうと思う。「電池、もう無いですよね」と、わかり切ってきるようなことをローソンのシマの制服を着て店の前に立ってた方に聞いた。苦笑されながら首を横に振った。わたしはくるくるラジオの充電のくるくるを回しまくってた。まあ電池が無くても動くけれど、やっぱり手動じゃ頼りないね。単三2本入るので入れられるものなら入れたいけれど、非常時なんで仕方がない。がんばってぐるぐると回す。
公衆電話に人が並んでいて、そうだと思った。今まで震災のニュースを見ていて、公衆電話に並ぶ人の光景を見たことがあった。カードは使えなくて10円玉や100円玉が貴重だったこと。その時に携帯うんぬんの記憶は無い、ああ、あれは阪神大震災の時だ、と思った。そして列に並ぶ。午後からずっと、都内に住む両親に連絡が取れてなかった。心配ではあったけれど、だからといって何かできるわけでもなく、もうしょうがなかった。九州からの電話がつながったからと、九州にいる義妹も何度か電話をしてくれていたけれど、結局つながらないでいた。公衆電話か、と思ってかけてみたけれど、やっぱりつながらなかった。
夫は都内にいた。携帯で連絡を取ろうとしたけれど、もちろんのごとくつながらなかった。着信履歴に入ったりはしていたので、かけてくれていることはわかっていて、それ自体が安否確認のように感じてた。東京でも揺れただろうが、夫のことは特に心配していなかった。夫の仕事は建築設計で事務所から派遣されて大手建設会社の仕事をしてる。最近オープンしたばかりの都内の最新のビルにまだ残っていてそこにいた。最新式の最新のビルの中にいて、危ないはずが無い。いわば、家族身内の中で最も安全な場所にいるのが保障されているようなもの。それと今までの会話の中で「地震が来たら、無理に帰らないで」というような話をしてた。神奈川と東京と川を隔てた距離で帰宅難民になるのは当然のようなことで。だったら冷静に様子をきちんと把握して、動かなきゃならないのならこっちに帰るよりわたしの実家に行った方が早いとかってこともあったし。冷静な方なのでなんとかするだろうくらいに考えてた。それよりなによりこっちの無事の方を知らせなきゃと、メールは送信しておいた。
やっと自宅に帰りついた。自宅を通り越して実家に向かう。家の前まで来たら、ほのかに灯が見えた。いつもなら既に閉めているはずの雨戸は無く、サッシ越しに中の様子が見えた。停電で玄関チャイムなど鳴らない。目と目で確認しか手段は無い。玄関ではなく居間のサッシのとこにまわり「ただいま」と声をかける。居間に入ると旧式の石油ストーブのオレンジ色の火がともり、火の消えたコタツにロウソクの火を囲んで、舅と義妹と娘と息子が身を寄せ合ってた。息子の顔を見て、ばたばたと息子と話す。息子が中2になった頃に「もしも地震が来たら」と話したことがあった。もしも地震が来たら、わたしはちぃちゃんを歩いて迎えに行かなきゃならないことが出てくるだろう。その時に。アンタのことが後回しになることは避けられない。なんとか頑張って欲しいと言ってた。実際、そうなった。この子のことを考えてやれる余裕は、今日のわたしには全く無かった。ただ、もう16歳になっていること自体は頼もしかった。暗闇の中で息子を見たら、そんな思いが全部あふれてくるような感じだった。地震から会わずにいた時間のことを、興奮するように二人で投げ合った。
気づいたら、息子の向こうで娘がわたしをじっと見てた。「ああ、ちぃちゃん、ごめんごめん。おかえり、ただいま。地震、怖かったねえ」。娘にしたら、暗闇の中でやっと会えたのにアタシは無視かい?的な感覚があっただろう。この子は今日一日、人の手から人の手へ、とっても手厚い中にはいたのだけれど。それでもこの子の知的能力の理解の中では、この子は今日の午後からずっとまさに「情報難民」という状況だっただろう。アンタを求めて暗闇の中をかーちゃんが歩き続けたことを、アンタにわかるように誰も説明してなかったね。ごめん、ごめんね。「ただいま。おかえり。おかあさん」がこの子にとっての一番の「生きた情報」なんだろうと思った。それをちゃんと渡してやらなかった。「ちぃちゃん、ごめんね。おかえり、ただいま。地震、怖かったねえ」。娘はにっこりと笑顔を見せた。安心したようなその笑顔を見て、ごめんねとまた思った。