リツエアクベバ

satomies’s diary

いってらっしゃい

息子の旅立ち

息子が今日、家を出た。

昨日おとといと、新居まで父親の運転で車で送ってやったが。今日は新居の最寄り駅の路線駅まで送るよと言ってあった。
もう荷物はあらかた移動したし、キャリーケースひとつ。あと、母親がベタベタと息子の新しい城に関わるべきではないと思った。路線駅くらいがちょうどいい。

車の中で、いろいろとりとめもなく話す。途中までは中学生のときの塾の送迎コースだ。あの頃よく車の中で話をしたな。この子はよく、自分からいろいろ話したな。車というのは、会話をするシチュエーションになったなと思う。

駅が近づいていくと、息子が何度かため息を繰り返す。
「部屋にさ」と、わたしが話す。「何もない部屋に自分が選んだ灯りをつけて。自分が選んだカーテンをつけて。だんだんなんか、思ってたことが実体化してきた感じがするだろう」と続ける。「あー、そう、ほんとそう」と息子が答える。
「早くちゃんと暮らしを日常にしたいでしょ」と言って、わたしが笑う。

子どもを育てるということは、自分が生きてきた人生をまた繰り返して感じるようなものだ。赤ちゃん、幼児、学齢。自分にとってなんでもなかった季節の移り変わりを、子どもに「行事をつくる」ことで感じる。ひとつひとつの節目を、また感じて生きていく。そんなことの積み重ねだと思う、子どもを育てるということは。

今、息子は自分の家に向かって歩き出す。それをまた、自分の過去に照らし合わせて感じながら。生活の変化を自分がつくるとき、それをふつうに回す日常にしたい焦り、みたいなものがあったなあと、過去の自分を味わう。

「今日、机がくる。冷蔵庫や洗濯機がくる。ちゃんと始まるよ、アンタの暮らし」。

元々、去年の春に家を出るはずだった。「ちょうど一年遅れだけど、ちゃんと実現させたね」「この一年、本当にいろいろあったね」。
そう言うと、息子が深く息を吸って「本当に」と答える。

駅に着く頃、上司から連絡がくる。持たされているノートパソコンなどの機材。それらが「場所移動」する時に、リアルタイムで連絡が必要なのだそうだ。「さっき連絡したのに」とか言いながら、息子がスマホに向かう。

駅に着いたので、上司に連絡している息子をそのままにして、車からキャリーケースを下ろす。
息子が緊張した顔で車から降りる。

「昨日、おとうさんに言えなかったんだけど」と切り出し。「今までお世話になりました」と言いながら、丁寧に頭を下げた。

あー、と思う。だからなんかため息ついていたのか。この子、緊張していたんだなと思う。

にこっと小さく笑ってうなづいてから、「おとうさんには直接ちゃんと言いなさいよ」と言った。
それから「いってらっしゃい」と言って、運転席に戻り発進した。

駅に歩いて行く息子が見える。よく育った。いってらっしゃい。

なんかさ。コロナで死にそうな時に、この子に言うべきことは全部言った。だからもう、なんか「いってらっしゃい」という感じだなあと思う。
もうこの子と同じ家に住むことはないだろう。しばらく不在に慣れない自分と向かいあうのかしらね、わたしは。
また人生の次の章が始まる。生還してよかった。

4月13日に息子に送ったLINE

まとめて記載、実際はブツ切れ。彼から送られてきた返信は名文、素晴らしい。よく育った。命の危機情報と引き換えに得た「息子からの返信」はお宝なのでここでは出さない。

生還できればいいが、できなかったらごめん。

生まれてきてくれてありがとう。
あなたはわたしの大切な大切なたからものだった。

ちゃんと育ってくれてありがとう。
思い通りにならないこと、自分を認めてやれないこともおきるかもしれない。
でも、自分を信じて生きていきなさい。

これからどんな風に治療が進むか、病院からおとうさんに連絡がいく。
あとはお父さんに聞きなさい。

ちぃちゃんの通所先には連絡を入れた。もしもわたしが死んだときのために。
今からちぃちゃんの住むグループホームの選定を始めてくださいとお願いした。もしもわたしが死んだら、なるべく早く、新しい生活にスライドできるように。

家で苦しいとき、わたし急変して死ぬのかなと思って、あなたにそう言ったよね。わたし、死ぬのかなって。

あのときあなたの手を握っておけばよかったと、いまとても後悔してる。ちぃちゃんはまだ簡単に触れるけど、あなたはもうさわる相手ではなくなったからね。
でも、あのとき手を握っておけばよかったなあ。

もしも死んだら、次に会うのは骨だ。ごめんね。コロナだから。
愛してるよ。
じゃね。