リツエアクベバ

satomies’s diary

防災

去年の3月4月の頃が嘘のように、あちこちに乾電池が売ってる。乾電池を見る度に去年のことを思い出す。
先日100均に行った時に小型のライトを買った。電池を入れて「枕元のすぐに手が届く場所に置いておけ」と言って息子に渡した。「『首都圏直下型地震が4年以内に70%』『今後30年で98%』ってのが東大地震研究所の見解、『今後30年で70%』ってのが政府見解」。「明日来るか30年後に来るか、結局来ないか、それは誰にもわからん」、「でもこれは枕元のすぐに手が届く場所に置いておけ」。「去年の地震の後に渡した小型のライトは、持って歩くカバンの中に入れておけ」。
東北の大震災のずっと前に、阪神淡路大震災を経験した神戸の方に聞いたことで印象に強かったこと。「震災グッズは想像を超える震災に実際に役に立つかどうかはわからず、大震災の前に『絶対』は無い。でもとにかく役に立つ可能性が高いのが『枕元の懐中電灯』」。「地震で停電が起きる可能性は高い。真っ暗な中で自分はライターの火をつけたけれど、それはガス漏れが起きていた時に非常に危険な行為だったはずと後で思い知った」との話。
東北の大震災の時に、遠く離れた横浜で地震後すぐに「電気」というものが奪われたことに対しての衝撃も自分の中には大きく残っている。大きな揺れで道路の信号が消えた、街から電気が無くなった。自宅に戻っても、あれもダメこれもダメ、あれも使えないこれも使えない、日暮れは近づき刻一刻と暗くなっていき押し寄せる不安感と先の見えなさ。あの日の懐中電灯の明かりのありがたさはライトだけじゃなかった。
つながらない電話、メールの手動更新、携帯での情報収集の試み、携帯の電池の消耗にドキドキした。あれから携帯の小型充電器を常に使えるようにしてある、充電式と乾電池式と。
地震後に用意したリビングにある小型の箱。その中身の整理もし直した。中型と大型の懐中電灯、計画停電時に使った小型のランタン、それに必要な乾電池。あとはろうそく。そしてラジオ、これは電池式とくるくる回して充電するタイプのものと。計画停電時に用意したものが多いので、充電池と充電器も箱にしっかり入ってるのがちょっと笑える。「時間制限きちんとアリで準備する『停電』」なんて、災害時にそうそう有りはしない。いやでもしかし、原発の被災ということを含めてあんなことは二度と起きて欲しくない。
水を買うようになった。冷蔵庫にいつも入れておくティーパックを使った烏龍茶。このお茶を作るのに買った水を使う。そうやって常に買った水を使う生活にして、買い置きのペットボトル水を回転させてる。家での在庫は常に2ケースが目標。あの時電気は断たれたけれど、水があって本当によかった。あの日の夕食はカップ麺だったけれど、それだって水が出たからありつけた夕食。
車のガソリンは「半分切ったら満タンに」ってのが習慣になった。あとは紙、ティッシュやトイレットペーパーは「少なくなった買っとこう」サイクルは早くなった。あの時、あってほっとしたもの、家の中での在庫薄で苦労したもの、そのあたりもまだまだ記憶に新しい。「丁寧に暮らす」ということも防災のひとつであると、あの時によくわかったような思いもある。「明日買おう」と思う生活必需品は「今日買っておこう」と思うようにもなった。
大切な書類の管理を以前よりきちんとして、夫と息子にその場所等説明した。ある作業所の避難訓練の話を聞いた時にはっとしたとこがあったので。「避難訓練の時に実施前に職員がくじを引く。決めるのは不参加になる人。不在負傷死亡、それがどの役回りの人に起きても『想定外』にならないように」。大事なことや大事なものは、誰かが知ってるだけじゃダメなんだ、と思う。
備えあれば憂いなしって言うけれど。自然の大災害に万全な備えなんて元々存在しないんではないか、と、思う。でもまあ、あの日の後にわかったことはちゃんとやっておきたいな、とは思う。