リツエアクベバ

satomies’s diary

15年

ここのところ、さんざん宣伝されていたドラマを昨夜見る。受験を控えてお勉強していた息子に声をかけ、一緒に見る。見せたかったから。

神戸新聞の7日間〜命と向き合った被災記者たちの闘い〜/フジテレビ

ドラマの展開と共に、当時のニュースの映像が流れる。息子が息をのむ。息子本人が改めて「15年」という数字に気づく。そうだよ、アンタが生まれてすぐの頃だったんだよ。
94年の9月に第二子を産んだ。翌年の一月、3歳のダウン症の幼児とゼロ歳児の二人にひーひーと言っている頃、遠く離れた関西であの震災が起きた。今、この、ひーひー言っている状況であの震災が起きたらと、体が冷えた。郵便局に走り義捐金を送り、押入の戸を開いて毛布を二枚送った。産院からごっそりもらったままになってた粉ミルクの缶やらスティック状の粉ミルクやらを取り出して、消費期限を確認し、それも送った。
しばらくしてから、新聞の投稿欄にある投書が目に付いた。震災によって1歳6ヶ月の子どもを亡くした方の文章だった。この方のこの文章は、今でもわたしの心の中にしっかりと生き続けている。ある日突然、幼いままにその命を失ってしまった我が子。その我が子の命がほんの短い間でもこの世にあったことを知って欲しい。我が子の名前を呼んで欲しい。
わなわなと震えるような感じがした。娘が生まれて生死の境にあったときに、悔しくてたまらないことがまさにこのことだった。生まれてきて、あっという間に死んでいくのか。そして時は過ぎていくのか。この子の命がこの世にあったことを知っている人が、この世にどのくらいいるっていうんだ。この子の人生はまだまだじゃないか。乳飲み子の息子を抱きながら、あの境をくぐり抜けた娘の面倒を見ながら、あの頃のあの悔しさをまざまざと思い出した。
この方のこの文章は、読んだ人のリレーのようにネット上の中で今でも全文が読める。

「上仲大志」Google検索

この投書を書かれた方は、検索によって現れた。

無邪気な心、今もそばに 1歳半の子亡くした上仲さん/神戸新聞ニュース:総合/2004.1.17

ここで紹介されている書籍と、そして「ゴムの手の転校生」という手に障害をもった子どもが主人公の書籍が二冊アマゾンで見つかる。残念ながら二冊とも入手できない状態。「ゴムの手の転校生」のみ、図書館の蔵書検索で見つかるので読みたいと思う。
震災後、「ガッツやKOBE、がんばる心はつぶれへん」と涌嶋克己氏のイラストで描かれたTシャツがあった。

ガッツやKOBE 勝手に応援団

ちょっとしたご縁というかなんというかで当時このTシャツのことを知ったわたしは、ものすごくパワフルな活動家の方に「あなたも売ってね」と促されることにうなづいてしまう。娘の通う保育園では制服状態にしてくれて、また、同じ市内の保育園でもその輪は広がっていった。そんなこんなで、わたしもこの頃、このTシャツや関連の商品を山ほど買い込んで。子ども用のこのTシャツを着ている幼児の息子の写真が居間にはある。そして10年以上経った今でも、部屋着で活躍しているトレーナーやらアリ。お稽古バッグは娘が愛用。実はこの文章を打っている今も、ガッツくんトレーナー着用。