パソコン内整理。
すでにたたんだテキストサイトの文章が出てきて再読。しみじみするのでここにコピペ。
リンゴがたくさん落ちた台風が来た年の秋、娘が生まれた。
妊娠二ヶ月の時、「おなかの中ですでに死んでいます」と診断され、掻爬の日程も決まっていた。
生まれるはずのなかった私の赤ちゃん。
産科をかえて、「生きていますよ」と言われて泣いた日を、私は忘れないだろう。出産場所に助産院を選んで、パパと助産婦さんに取り上げられた私の赤ちゃん。
生まれた直後からずっと一緒だったのにまもなく完全看護の病院に入院してしまった。
ベビーベッドに使えなくなったベビー用品を全ていれ、大きな布を上からかぶせて大声で泣いた。
「私の赤ちゃんをかえして!」病院で、ダウン症であること、心臓の手術をすることの説明を受けた。
病院の中でひいた風邪から重い肺炎に移行していった。
命が危なくなった。
ダウン症であることは、もちろんショックだったけれど、 生きて、元気で退院するという将来がいつになるのかわからない状態のころだった。
それから半年ほど月日が過ぎて、退院の日を迎えた。
三途の川から引っ張り戻した私の赤ちゃん。ダウン症と聞いた時、(あのとき掻爬していたら)なんて、もちろんちょっと考えた。
でも、今はこの命がうれしい。危険の中で、心臓の手術をしたとき、(このまんま悪くなったらこの子を育てなくてよくなるって思ってない?)と、自問自答したりした。
でも、今、娘の命そのものが私の宝物。
家で元気に暮らせることを幸せだと今でも折に触れて思います。
ダウン症だと告げられた時よりも「死んでいます」の方が、何倍もショックだった。
生まれてくれてありがとうと心から思っています。
娘は1991年生まれ。
平成3年台風第19号 - Wikipedia
この文章を書いたのは、確か1999年。