まず「ヨイショ」は軽くスルーしながら「出会った当初は専門学校を出たばかりの21歳のお嬢さん」だった保育士さんのこと。ああすんません、ちゃんと計算したら「22歳のお嬢さん」だったかも。
この彼女、ええいジュンちゃんね。ジュンちゃんは3月に学校を卒業できませんでした。6月卒業だったので、卒業後すぐに正規の就職ができませんでした。それで卒業後の秋からだったかな、公立の保育園の臨職として働いていました。
その同じ頃、わたしは次年度の4月から娘を公立の保育園に入れたいと、あちこち見学に行ったり、お話を聞いたりしていたのでした。公立の保育園に入れたかったのは、地元の療育機関が2歳半から「週4日、午前から午後までの通園、母子分離」のクラスに変わることになっていたこと。それを機に、その療育機関ではなく公立の保育園に場所を移したかったこと(理由は山ほどあるので割愛)。
近いとこ、ちょっと遠いとこ、遠いとこ等、まあいろいろ行ったけれど。そしてどこでも歓迎的なことを言ってもらえたんだけど。一番近いところの園長さんが一番親身になってくださったので、一番近いとこに入園させることにした。
そして。この園長さんと当時の主任さんが考えた。障害児ということで一人臨職の加配を手配する必要がある。この人選をどうしようか。あの子が適役なのではないか。ほら、実習に来ていたあの子。実習中に園児からの感染でみずぼうそうになってしまったあの子。あの子は非常に有能だった。確かみずぼうそうがかなり悪化してしまって出席日数が足らなくなり、3月に学校を卒業できなかったはず。正規の就職はできていないタイミングでの卒業だから、きっとどこかの園で臨職で働いているだろう。それをその子を引っ張ってこよう。
まあちょうどいいことに、ジュンちゃんは娘の入園の寸前の年度も、公務員採用試験を落っことしてたんですね。で、出会うことになった。ジュンちゃんは、障害のある幼児に対して適切だったというよりは、要するに保育士として有能であると実習中から見込まれてた人材だったわけです。
娘の入園の初年度、わたしも園長も緊張してましたよ。だってジュンちゃん、ホントに有能だったんですから。だからこその緊張。だってさ、彼女の人生っちゅ〜かを考えると、いつまでも臨職としておいてちゃマズいでしょ。だから初年度のみでしょ、この有能な人材を娘のための加配の臨職として配置できるのは。なんとかこの、ジュンちゃんの保育姿勢ってのを、その後の加配の臨職に引き継げるための記録とかとっておかなきゃいけないんじゃないかと。
ジュンちゃんな、ちゃんとお勉強しないで、お仕事以外は遊んでばっかいるもんだからさ、その翌年も公務員試験を落っことしまして。「あらもう一年よろしくね」なんて、まあ園長もわたしも喜んでいいんだかどうなんだか、まあ、まったくよ、と。結局娘の卒園まで、臨職としてこの園に勤務されていましたとさ。
ジュンちゃんは「障害児のいるクラスの加配としての臨時職員」ではありましたが。該当の障害児だけではなく、クラスの子どもたちにも適切に目を配り、わたしは娘のクラスの保護者の方々から感謝されておりました。「ちぃちゃんがいるから、あの保育士さんがずっとうちのクラスにいてくれる」。他の園児のクラスの保護者の方々からは、「あのクラスばっかり、ずっと有能な保育士がついてる」。
まあ要するに、ジュンちゃんは障害がうんぬんとか療育がうんぬんとか以前に、保育士として有能だったわけです。うちの娘がどうたらこうたらってことではなく、障害がどうたらってことではなく。ジュンちゃんは「子どもを育てる視点」で、娘をずっと育てていた。まあそういうことなんだろうと思いますね。そこで重要だったのは「障害には配慮するが、障害に遠慮しなかった」ってことだったんではないかと。
子どもが「ダウン症です」と告知を受けるときに。「普通に育ててください」と言われることはよくあるんですが。「発達の遅れに配慮はするが、子どもとして普通に育ててください」ってことなんだけど。
でもね、わたしのパターンのようにそれが第一子の場合は、この「普通に育てる」ってことがよくわからんのですよ、自分の子どもを手にするのが初めてだから。
その「普通に育てる」って要所要所を、まあジュンちゃんが補ってくれたと。そういうことなんじゃないかな、と思う。ジュンちゃんのみずぼうそうの感染っていう、わたしが彼女に出会う前の事件から、まあ流れはこちらにラッキーに動いていたのだろうな、と。ジュンちゃんに感謝するだけでなく、その偶然をたくさん用意した巡り合わせにも、やっぱり感謝していますね。