リツエアクベバ

satomies’s diary

ちょっと迷ったけど、書いとこっと。

もともとは子供に愛情を与えましょうというつもりだったと言うことは知っている。これから親になる人に向けての言葉だと言うことは知っている。だけどその言葉を使って人は他人を傷つけるのだ。その言葉を知り、それを実践した親は、自分の正しさを証明するためにそうでない子供をわざと可視化するのだ。そして誰も批判ばかりされた子供を、殴られて大きくなる子供を、笑いものにされた子供を、皮肉にさらされた子供をたすけない。手は差し伸べない。もしその子がまっすぐに育ったら自分の正しさが証明されないから。
これを書いた人を責めるわけではないけれども/Say::So?

 えっとね、娘が小学校のまだ低学年だったときに、娘を毎朝学校まで送っていっていたわけで。でもってコレ。

 口を出したケース、女の子の集団が、1人の目の前でにやにやと、その子だけがわからない合図を送る、仲間で送り合う。陰湿だなあと思う。この集団がわたしを「友達」と認識して、その合図をわたしに教える。笑いながら、「仲間の認識」を楽しみながら。
 こら。ここで介入。「誰とでも仲良くなんてきれいごとは言わない、誰が誰を好きで誰が誰を嫌いだろうが、わたしはいっこうにかまわない。ただ、集団で陰湿なことはやるな。」と言う。
 返ってきた答になんだかうなだれるような思い。「だってあの子は一人っ子で我が儘だってママが言ったもん」。おいママ、なんとかしてくれよ、まったく。
通学路/S嬢のPC日記

 あとさ、ちょっと問題あって目立つ子がいると、出てくるよこういう言い方「ほら、あそこんちは母親がフルタイムで仕事してて毎日帰りが遅いから…」って。それとかね、ちょっと声を潜めて「家庭に問題あるみたいだから…」って。「から…」の後は無いの、妙な間とうなづき合いタイム。
 うちねえ、坊やがいわゆる「障害児のきょうだい児」だからね。姉に母がやってやることを自分もやってもらえないとひがむ時期が長かったわけ。だから朝降ってなくて下校時には雨降っていたなんてときは、ずいぶん長いこと車で迎えに行ってやってたのね。そうするとね、絶対いるの、この「から…」ってなことを言われたりするタイプの子が。息子より早く校門とこにね。折り畳みの傘持たされてたりするんだけど、でも、いる。そういう日は必ずわたしが来るって思ってるの。もちろん連れて帰るよ。笑っちゃったのは行くタイミングがちょっと遅れて校門でひろえなかった暴雨の日。「遅いよ!」って怒られた。「ゴメン!」って言った。「だってやっぱちぃちゃん先よ!それはわかって!」って。
 親にも気を遣われない根回しはする。息子がよくヤキモチ焼いてた。「から…」の人がなんか言ってくることもあったけど、そういうときは空気読めないフリしてかわす。この手の子でちょっと問題のあった子であとで落ち着いた子は、ママがあとで教えてくれた。再婚後の新しい父親と、ちょっとうまくいってなかったんだって。
 娘の低学年時の交流級で、ちょっとね集団に入り込むのに困難がある子がいて。指導に追いつめられた男の先生が殴っちゃったことがあったのね、この子。で、校長でてきて学校からの説明中心の懇談会があったんだけど。このとき殴られた子の母親に向かって聞こえよがしに「自分の子のしつけひとつろくにできないくせに被害者ぶって」って言った人、いたよ。
 うちの息子と遊ぶために一時期よく遊びにきてた女の子。3年生のときから夕食作ってたよ、母親の帰りが遅いからって。9時頃帰ってくるんだって言ってた。すごいびっくりしてこの子の近所の人にこの子のこと聞いたら、この子がまたこの子の近所でものすごく評判が悪い。おにいちゃんがね、この子のことひどく殴るみたいで。で、この子が近所の幼児の子を大人に隠れて殴る、と。親に言っても取り合わないので矛先はこの子に向くってことらしい。この子叱っても、また隠れて殴る、と。この子が帰宅する時間は家の外に小さい子どもだけで出しちゃいけないと、そういうことになってた。
 で、また、この子の周囲のこの子と同じ学年の子たちがこの子のことをやたらにいじめるらしくって。無視もそうなんだけど、この子の誕生日にきれいなカードで中あけるとこの子の嫌いなものの絵だけ、なんてこともあったらしい。わたし全然知らなくって。気づいたのはこの子の近所の男の子が息子の耳に「アイツと口をきくな」って言ってるのを偶然耳にして。
 な、な、なんなのコレは?とソレを言った子に言うと、元々それを言い出したのは妹をボコにされた子みたいで。でもって息子はとにかくこの子と口をきくと、ヒューヒュー責めに遭うのにひどく困っていて。なんでも休み時間に手紙もって教室のドアのとこに待ってるそうで。息子のお道具箱にはこの子からの手紙が確かにものすごくたくさん入ってた。
 で、結局人目を避けて、うちで遊んでましたこの子と息子。周囲の人たちはみんな「親がねえ」「あの子がねえ」って言ってたよ。わたしにはなにがどうだかよくわからない状態で、幼児よりも告げ口能力が低いだろう娘に対して、わたしに隠れてこの子が何かすることもなかったし、ふっつ〜〜に遊んでたよ息子とこの子。「ちぃちゃんいるのにあの子よくお宅にあげられるわねえ、勇気あるわねえ」って言われてましたわたし。でも普通に楽しそうだったよ、息子とこの子。罫線の入ってないノートにエンピツで手作りのすごろくみたいなの作りあって、ひたすらソレやってた。きゃっきゃって楽しそうに。息子はいじめられてるこの子に対しての正義感とかじゃなくて、この子がなぜそんな風にいじめられるのか自体がよくわかってなかったらしい。この子が遊びに来て、でもわたしに用事があるときは、娘と息子のこの子と連れ歩いてたりしてた。Mちゃんもそうだったしね、わたしにとってはごく普通に。
 この子引っ越しちゃったんだけどね、両親離婚して。元気にしててくれるといいなあと思う。いや、小さいのを殴らなくていい状態になってるといいなあ。
 で、元に戻るんだけど。

もしその子がまっすぐに育ったら自分の正しさが証明されないから。
これを書いた人を責めるわけではないけれども/Say::So?

 ちょっとね、結びの語調がきついニュアンスがあるかもしれないけど。でもあるよねえ、って思うなあ。「から…」っての「…」の中に感じること、あるもの。
 でもさあ。そういう風に言える方に回ったのも、運とか偶然ってのない?とかも思うんだけどなあ。親の心理が安定しない状況に陥っちゃうと、子どもの精神生活もこけやすいし、親の心理状態が安定できなくなる事件って、そこそこ誰にでも起きる可能性はあるとは思うんだけどね。正しさだけで自分に降りかかってくる苦難の可能性が全部防げたら、誰も苦労しないって。
 まあ「…」ってとこのニュアンスに「なあに?」って追求したって、日常生活人間関係上、得るものもあんまり無いように思うなあ。いやいやいやいやごまかしちゃいけない、わたし自身の生活上の自己防衛ですね。ああ、あと、「ちぃちゃんちのママ」の利点ってのもある。障害児のいる家庭だからってことで、変なことに変な足並み揃えなくても集団から排除されないとこはあるなあと思う。標準じゃない、と思われてるとこの逆利用かもしれない。そうやって流したりかわしたりしてるとこで、わたしも加担してるとこあるんだろうなあと思うなあ。