リツエアクベバ

satomies’s diary

泣く男の子

ウチの坊やは泣き虫なお子さんだった。言葉の発達が遅い方で、うまく言いたいことが言えない。そんな時に泣いてしまうお子さんだった。おおそうそう、そんな話をそういえば残した。ああ中2の面談の時のことの日記だった。

2008年10月7日更新分「その後とかいろいろ」

子ども育てるのって不安よね。これはこの場合はコイツのココロが大事なだとか思って「いいよ〜泣いて」とか思いながら言いながらも、どこかで(そうお?ヤバくね?)とか思ってる時だっていっぱいある。いつまでも泣いてる男の子じゃヤバいじゃんとか、そのうち泣かなくはなるだろうとか思いながら、でも(「いいよ〜」ばっかり言ってもマズくね?)とかは思ってる。子どもに対しての寛大は、自分の中での根気比べとギリギリのところもある。「いいよ〜」って一回言った限りはそのシチュエーションでは「やっぱダメ」とかはダメ。だから(コレはこの場合は言うべきだよな、言ってもいいよな)とか思いながら、自分の根気の危うさにぎゅうっとプレスをかけることもある。
「いいよ〜泣いて」とか言いながら、(うううヤバくね?)とか思うのは、自分らがガキどもの時にすぐ泣く子にどん引きってシチュエーションが思い浮かぶからだと思う。(そこで泣くかよ)みたいな時には子どもらは堂々とどん引きする。かーちゃんの態度がそのシチュエーションにわが子を追い込むような環境にはならないかとビクビクする。親の甘さが子どもを集団から孤立させる場合も多い。
いや、ケースで考えよう、このシチュエーションこのケースで一番拾い上げるべきものは何か。そこに涙がやむを得ないか。涙の周辺の心の在り処と行く先はどこか。そんなことを思いながらも、やっぱりなんかヒヤヒヤするわい、いや正直したわい、泣き虫男の子のかーちゃんとしては。
しかし、ねえ。いや、息子が中学からこっち、まあ男の子が泣くとこを何遍も何遍も見てきたわあと。部活の試合もそうだし、最近すっかりはまっているTokyoFMの「SCHOOL OF LOCK!」のとーやま校長の涙声ってのは、リスナー歴が短いわたしでさえもう何度も聞いた。
いや〜、いいよね、男の子が泣くのって。と思う。ここで言う「男の子」ってのは、年齢が幼児とか児童とかってのじゃなくて、「体は大人でもココロは少年」ってとこでの「男の子」。うわっとくる。こう、なんつーか、思いがぐわっと迫ってくる。
すっかりでっかくなって、という高校生の息子を見ながら最近思うんだな。わたし、この子が泣きたい気持ちをもつときにちゃんとこの子のココロを尊重できたかなあって。尊重したいとは思いつつ、「泣いちゃいけない」とかこの子のココロを縛ったことは無かったかなあって。シチュエーションによっては言ってたからね、「泣かないよ」って。その判断でマズかったことは無かったかなあと。この子、ちゃんと「泣ける男の子」になってるかなあと。なってればいいなあと。
なんなんだろね、まあ都合のいい。異性の子どもってのは異性の目での都合の良さを親がもって育ててるもんだよなあと思う。ホントにご都合よく、「親」という顔で後ろ手に異性の目の都合良さを隠し持ちながら。
そういや小学生の時の個人面談で。若い女性の担任と息子が泣く時の「予兆」の表情の話になったことがある。気持ちがわーっと押し寄せて、本人がその自分自身の気持ちの波と闘うらしく。お口のあたりをもごもごもごっとする。もごもごもごっと小刻みに動く。その気持ちの波が涙となって溢れ出るか、強靭な意志によって堰き止められるか。数十秒だかいや数分なのか、本人の葛藤の嵐が口元に吹き荒れるわけだ。
その「嵐」がねえ、「かっわいいですよねええええ」というガールズトークになってました、面談で、教育的な面談話ではなく。いや最初は先生は「彼のココロの動きの予兆は表情から読めるので」とかなんとかおっしゃって。そこでわたしが思わず吹いてしまったのだ、「ああ、口ね」って。で、マネしてみせた。甘ったるい造りの顔で長めのまつ毛をぱちぱちさせて、口をもごもごって。それはなんか少女マンガに出てくる感じの「絵」で、本人には悪いんだけど(わはは、泣きそうでやんの)って感じだったんだよね。
かわいかったなあ。くっそー、あの可愛らしい表情を見せる少年は今はどこにもいない。毎朝毎朝髪の毛のセットに30分くらいかけてなんだかんだやってる、変な声のでっかいニイちゃんはいるけど、あの可愛らしい表情をもつ男の子はいないんだ。ああいうのこそ、ビデオで撮っておきたかったけれど、さすがにそんなシチュエーション時にカメラは回せないわ、ねえ。残念。