リツエアクベバ

satomies’s diary

マディソン郡の橋

 先日TSUTAYAに参りまして。メリル・ストリープが出てるから、という理由で観たかったのだけれど、観る機会を逸していた「マディソン郡の橋」を借りてきました。
 今まで観なかったのは、なんだか変に有名どこになってしまうと、その有名どこ部分に天の邪鬼的な感覚をもってしまうとこ。またこの映画が公開された頃とその数年は、小さい子どもたちの中でしっちゃかめっちゃかだったこともあるとも思う。言ってしまえば肯定と否定にまみれた恋愛映画に興味をもつ状態なんてものじゃなかった。
 で、観た。最大の感想は、これはメリル・ストリープを観る映画だということ。メリル・ストリープって、やっぱ凄い。
 検索で人のレビューや感想を閲覧。まあやっぱりな、と思うのは、肯定否定で出てくる内容。肯定で出てくる内容は、相互の個性を短期間に見出し合い、とっととくっついてしまったカップルが、その4日間を崇高に大切にし続けたことの意味、ということ。否定で出てくる内容は、安っぽい不倫になんだかんだとオカズをくっつけて「素晴らしい」と勘違いしている等。メリル・ストリープと同年代風な主婦たちが、この映画をこぞって観たことに対して「気持ち悪い」的な感想も見られたと思う。
 他者の恋愛を査定できるほどわたしはたいした人間なんかではないので、それが崇高かどうかはわたしにはあまりどうでもよかった。その上で。否定者の言い分はわかる。相互の個性を見出し、ってことをもってくるには、この映画で出てくる恋愛がそこまで崇高かよと思う程度に、出会った最初から「家族が留守でアバンチュールのチャンスだぜ」的な安っぽさを感じた部分はあるとも思う。
 でもいいんじゃない?とも思う。相手の個性を見出し、ってことをやるときに、異性に対して魅惑の嗅覚が働いてることが見出すきっかけになることなんてたくさんあることだし。そしてその魅惑の嗅覚が働いていたからこそ、主人公のカップルが見つけていってしまった相互の存在の意味、なんてものがあったのだし。
 それと。「夫に女として見られなくなった主人公が」という表現にいくつか出会ったけれど。え?そうお?それ見ている人が自分の感覚を持ち込んでるんじゃない?と。留守にするときに「君がとなりにいないと眠れない」なんて妻に言って家を出る亭主だぜ?ってのは思った。夫が亡くなる寸前の、妻に渡す「I love you」のシーンだって、けっこうな恋愛映画ですぜ、とも思うんだけどね。
 なんてこの映画の「恋愛」査定ではなくて。映画としてわ〜〜〜っておもしろかった。この「おもしろかった」を端的に文章にしてくれたものを見つけてすこぶるゴキゲン。

「マディソン郡の橋」/KURUKURU'S CATALOG

 あと、ロバートが話す話に(そんなにソレ、おもしろいわけ?)ってなくらい大げさに笑い転げるフランチェスカというシーンもすごいよかった。相手を意識しまくっているときに出てくる愚かさ。メリル・ストリープがホント、バカっぽい。恋が進む行程での、バカバカしい寄り道みたいなもの。
 でもって、ロバートに対しての気持ちが進んでいくスピードで、ものすごい勢いできれいになってくメリル・ストリープが凄い。
 しかし「マディソン郡の橋」って、本当に有名どこなんだなあとも思った。同じメリル・ストリープの「恋におちて」は、検索でここまで出てこないものね。こっちはプラトニックを通しまくって、葛藤により「やれない恋愛」なんだけど。それでもこの映画も結局は不倫映画だの安っぽいだのなんだのって、そういう評はあったと思うし、そのことにどーだこーだ言う気はさらさら無いんだけど。
 この「恋におちて」という映画でもっともわたしが好きなシーンというのがありまして。偶然みたいなとこで知り合った男女がいて。クリスマスの日に書店でぶつかった男女が、床に落とした互いの荷物を取り違えて持ち帰って、知らん人との再会が出てくるとこから始まるんだけれど。その「知らん人」だった人間とまあ何度か会っていく、自分は用事があるんだという大義名分をもちながら。そのときに着ていく服を選び始めて、クローゼット中の洋服を全部引っ張り出してとっかえひっかえして鏡に向かって。そしてその散乱した山のような服を見ながら、何やってるんだ自分…、と思わず我に返るメリル・ストリープのものすごいかわいさ。
 「マディソン郡の橋」でも、彼のために服を買いにいっちゃうシーンがあって。なんで買うんだろみたいな葛藤をしながら、でも買っちゃう。こんな些細なシーンがものすごく楽しい。
 でもって。「マディソン郡の橋」で最大の「メリル・ストリープすごい」は、雨の中の別れのシーンだと思う。4日間が終わり別れ、それでもその別れをあきらめきれず、街を離れなかったロバートと、偶然再会するシーン。視線と表情だけのメリル・ストリープ。ここで盛り上がりまくって、そして本当に最後の別れというシーンに続く。このシーンで「家族が留守だったからこそのアバンチュール感覚あっただろ」的なものがぶっ飛んだ人は多いんじゃないかとも思う、相互の個性や孤独を見出し、なんてしちめんどくさいことよりも。
 この、メリル・ストリープ以外に誰ができる?的演技のシーンから、最後の別れに向かってのシーン。このあたりで、雨だのどしゃぶりだのずぶ濡れの中で立ちながらだのセリフ無し表情のみだの主人公のカップルを微妙に隔てる距離だの場を盛り上げる小道具の使い方だの、このあたりの盛り上げシーン作成はすばらしいと思う。要は映画としてすごいんだよね、と思う「マディソン郡の橋」。
 「マディソン郡の橋」は、小説が売れたからこそのヒット映画かもしれないけど、でもメリル・ストリープ、やっぱりとてもステキでそしてとても凄い。まあわたしはストーリー的には孤独だの崇高だの一心同体だのと大騒ぎしなくても、ってことで「恋におちて」の方がどっちかといえば好きですが。
 それと。小説「マディソン郡の橋」が売れた考察を書いていらっしゃる方がいて。これはおもしろかったので、自分の記憶のためにリンク。

小説マディソン郡の橋 から