リツエアクベバ

satomies’s diary

人生を選択するってヤツ

■[人間関係][女性]全部がんばるなんて無理無理。

 リンクされてるとこ含めて、ふむふむふむ、と興味深く読む。何が正しいってことではなく、どう思うかどう考えるかどう選択していくかしていこうとするか、ってこと。そのことに関わる個性、とか。
 女って性別で、まあその性ってのを生かして人生の中で「産む」ことも考えて、そして自分の可能性を考えて。いろんな価値観や思考ってのをいっぱい生み出すテーマだよな、と思う。
 なんだかんだいっても、どこの学校を受験したいなんてこととは趣が変わっちゃう要素の強いことだと思う。「産む」を混ぜようとしたときに、その相手ってのが関わってくるし、結婚入れていくと相手の事情も含まれていく。で、「産んだ」ときにね、まあ健康な子どもってのに恵まれない場合ってのも出てくるわけで。
 わたしは。計画思考、なんてことはしたよな、とも思う。でも全然変わっちゃったな、とも思う。結婚したときは、当然ずっと自分は仕事を続けていくんだろうと思ってた。実際そういう結婚生活がスタートした。その時代はバブル期。
 忙しい、わけですね、夫婦ともに。景気がいいから仕事ってのはどんどんどんどんあった。なんか結婚生活が合宿所みたいだった。お互いにばたばたばたばたと仕事をこなしていて。休日もなんかゆっくりできない感じ。日曜の午後にはもう週明けの仕事のこと、考えてる感じ。
 ふと、思った。ああなんか、二人でこういうモードってのにいなくてもいいんじゃないか、って。夫は一級建築士の資格を取った途端にどんどん仕事が増えていっていたから、チャンスに乗って成長を続けている感じだった。そこ支える側に回ってもいいんじゃないかって。自分も「産む」ってことを考えていこうかな、もうボーナス要らない。要らないから、「産んだ」ときに無理なくできる仕事に替わりたい。
 ってことで、フルタイムをやめて、正社員の立場を放棄して、ゆったりとした生活に変えたわけだ。わたしに、ではなく、二人で作り始めた家庭にやっとゆとりがでてきたような感じ。そして「産んでから戻れる」ように、自分の新しい仕事の経験ってのを積んでおく期間ってのを計算した。
 次に「産む」。これも時期的な計画をしましたよ。年齢も、時期としても。10月までに産むとゼロ歳児時点で保育園の手続きができる、とかね。当然、早めに復帰するつもりだった。
 8ヶ月のときに産休入って。すこぶる健康的な妊婦で、なんかまだ自分仕事できるような感じだった。だから単なる妊婦になったことに、妙な恐怖感みたいなものがあった。自分が何者でもなくなる、単なる腹に胎児入れてる、それだけのために生きているイキモノみたいな寂寞感。どこか社会から見捨てられたような感じ。
 なんて気持ちを振り払い、体の声を聞く新鮮さなんてものもあって。陣痛ってのはなんだ?どんなものなのか?自分は体ごと動物的な本能的な波に飲み込まれていくのか、それはどんな感じなんだ?とか。実際出産体験ってのは、実に興味深いものだった。
 で、生まれた。生まれたら普通の子じゃなかった。生まれたら、先天性の心臓病を合併していて、いつ退院できるのか生きるのか死ぬのかもわからなかった。
 仕事は辞めた。「生きる」ということに対して、願掛けみたいな気持ちがあった。ここで辞めてしまったら死なないんじゃないか、みたいな願掛け。死んじゃって、何の不便もなく職場復帰できることに対しての抵抗、とか。
 まああのとき、赤ん坊の命と引き替えに全てを一度捨てたようなものかもしれない。何もかも捨てて、わたしはただの病児の母親になった。病院に日参する母親。一日にたった数時間の面会。それ以外の用事も何も無い生活。
 退院して、持たされた薬いっぱいで、マイ聴診器なんてのも持つ立場になって赤ん坊の心音を聞き、強心剤を飲ませる毎日。緊張しながら病児の母親になったけれど、自分の家でいっしょに暮らせるしあわせ。そして薬もひとつまたひとつと無くなっていき、わたしは健康な知的障害児の母親になった。お日様の下、病気じゃないことがとてもしあわせ。
 それからひとつひとつ、手に入れたこと、開いていった扉はいっぱい。全てを一度捨てたけれど、たくさんのものをもつようになった。20代のはじめに計画していたことは何ひとつ思い通りにならなかったけれど、思いもよらないとこから出てきたことに向かっていくのもおもしろいよ、って思う。
 なんてこと。だから長期スパンの目標ってのもいいけど、それに縛られない自由さってのも大事だと思うし、「三年」ってのは妥当な期間だよなあ、とも思う。そうそうそのくらいで違う要素ってのは入ってくる可能性高いと思う。「悩むのもいいけど、とりあえずいけるところまで行こうよってことです。」ってのも、そ、そ、そうだよね、いっちゃえいっちゃえ、とも思うな。うん、わたし、「とりあえずいけるところまで行ってきたぜ」って思うな。人生ってのは類型化できない、その人固有の世界ってのがあるのだしね。