リツエアクベバ

satomies’s diary

聞きたい?と思ったので書いておく

■[2ch]【過激】知的障害者の女とのセクス(from 2chnavi - 2ちゃんねるスレ紹介/レス紹介blogまとめ)/明日は明日の風が吹く

 以下、「知的障害児の親」ではなく、主語はわたし。わたし一人称の個人的考えにおいて。この感覚は「知的障害児の親」としては、どうやら少数派なんではないかという推測を、経験上認識。
 この話はいろいろ見る側面があって、その見る側面のどこを見るか、ってことなんではないかと思う。まあ、肉体関係がどうのって、その相手の障害がどうのって、そんなことよりこの部分が全てなんではないかと思う。

 ただ・・俺が「なぁ」って言ったら「なに?」って答えてくれるあいつが居ないとどうにもイライラする、俺がしてることになんでも興味示してベタベタしてくるあいつがいないとイライラする。あいつを手放しそうになった俺に腹が立ってしょうがなかったよ。

 結局はここ。ただ、ここに到達するまでに、見えてしまう側面がありすぎるんだと思う。本人さえもその側面に左右される強い要素も含めてね。
 「親」という立場で言えば、親なんてものはそもそも子どもの「性」ってもの、そのもの自体を認めたくないイキモノなんだと思う。それに加えて、知的障害、娘、ってワードがついていけば、尚更それは加わっていくものなんだと思う。
 経験した実話。実話なので、特定できないよう、細部で少し設定を変えます。
 知的障害をもつ女の子。結婚したいという男性が現れる。この男性はこの女の子の障害自体に詳しくなく、トロい子程度に認識。結婚を意識してこの女の子の障害について調べ始める。子どもに関しては、この女の子には育児は難しいなら子どもを作らなきゃいいという考え。
 この男性は、いろいろな人にこのことに関して相談を始める。相談した専門家たちは、この男性が女性の障害をいっこうに気にしないことに逆に驚く。この男性は相談によって出会う周囲にノロケ始める。そのノロケには性的な話が多く、周囲を唖然とさせる。この話を伝え聞いた同じ立場の母親たちが騒ぎ始める。結婚はしたもののの、結局、親が離婚させる。
 登場人物の詳しい心理まではわかりません。ただ性的な話を事細かに他者にするデリカシーの無さと障害者差別を、どこまでからめていくかは、この話に接する人の価値観が大きく左右するものとも思います。要するに、この女性が恋愛した相手が、そういうことに関してデリカシーの欠ける、そして話す相手を選ぶことのできない、まあ、ちょっとしたおバカさんだった、って読みもあるわけです。そしてうれしそうに話したことが、イコールで性的なことをへへへと話したがる変態なのか、ノロケに素直過ぎるおバカさんなのか、ってこともあります。またこのおバカさんの程度というかなんというか、ってことを許せる個性と判断するのか、許容できない無神経かつ変態と判断するのか、ってこともあると思います。その中でわたしとしては、知的障害と性に関して、被害者意識が大きくては事の本質はよく見えないのではないかと、思いました。
 親の反対の中、とにかく一時期は結婚生活が成立していた、ということは、それがその知的障害をもつ女性の意志なのだ、とわたしは判断する。性的なノロケの内容も含め。
 なんてことで難しいなあ、とは思いました。まあ、離婚の経緯は詳しくは知らんので、もしかしたら結婚後の暴力とか、まあそんなことがあったとか、新展開があったのかもしれませんけどね。そして最終的に親御さんが責任を取る人生、ということで、それ以上のことを踏み込んで思考することにわたしはストップをかけることにしました。
 それでも記憶に残るのは、この話の中で、母親という立場の人たちの強烈な拒否感覚でしたね。
 知的障害をもつ娘の母親、としての自分の立場で言えば、知的障害を利用してわたしの宝物を性的なオモチャにすることは断じて許せん。しかし娘の意志というものは、という面があると思う。性的な成熟はすでに開始されていると認識しているところもあるなあと思う。また娘が持つ出会いを、わたしの価値観で査定する気は今のところは無いなと思う。査定と理解、ってのは違うという前提の元でね。ま、人間だからね。実際どうなるかはわからんが。
 ちなみに引用した部分。幼児期ではあるが、同性ではあるが、性という問題はからまないが、ってことなんだけれど。娘が転居するとき、ちょっと心配な子がいた。男の子っぽい感じの遊びをたくさんする、とても元気な明るい女の子。娘ととても仲が良かった。この子のおかあさまが「ちぃちゃんは引っ越しちゃうのよ、って言うんだけど、わかってるんだかわかってないんだかわからないのよ」と。そして転居。この子、ちょっと「おかしく」なりました。「わたしはちぃちゃんがいないとダメになっちゃう」と、泣き続けたそうです。わたしはこの子から友達を奪ったのだという罪悪感のようなものを持ちながら、この子と娘と二人で撮った写真を大きく引き伸ばして、あわてて送った。この子は明るさを取り戻し、ただ3ヶ月くらいの間、毎日その写真に話しかけていたそうです。
 人が人を好きになるってことと、障害ってこと。本質的なとこではあんまり関係ないんだろうな、と思うな。
 以上、論議を呼ぶ気はないのでトラックバックは送りません。特定の線や回答も無い話であるし、難しいとこあるしね。