リツエアクベバ

satomies’s diary

考え込んでしまって、多分上手く言えないけど、でも書いておく

(8日追記:読んで涙が出る。「S嬢 はてな」より「息子の成長メモ」ゲンタ氏に読んでほしい文章。ゲンタさんご自身は実際上記のような認識のもとで生活されているのかもしれないが、ミュージシャンなんてこんな輩がほとんど、と言い放つことは、ミュージシャンに対しても「どんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していく」努力を続けておられる人たちに対しても、どちらにも随分乱暴な物言いだと思う)
作者との距離/Me&MyDegu

 う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜む、と。いや出された文章にどんな風な感想をもたれるかは、それは読んだ方の世界だと思うのだけれど。う〜〜〜〜〜〜む、と、思うなあ、と。
 自分の文中に書いた「どんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していく」というのは。これは要するに「しょ〜がね〜よ」と。そういうとこなんだよなあ、と。

 このドラマを見ながら「おかあさん怖いよ」と言う。「自分が大人になって子どもを持つようになったら、と思うと怖い。普通の子は生まれないんじゃないかと思う」と言う。「それは誰にもわからない。わたしだってアンタ産むとき怖かった」と答える。「ただどんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していくことだと思うよ」と答える。
息子の成長メモ

 ここでアクセントというかポイントというか重きというかは、わたしにとっては「こつこつ」の方じゃなくて、こっち。

「それは誰にもわからない。わたしだってアンタ産むとき怖かった」

 「100人いて99人はくぐり抜ける確率」と聞いたら、たいがいは自分は99人だと思うと思う。ところが「1000人いて999人はくぐり抜ける確率」で「1」を経験した、と。だからわたしにとっては「1」を生み出すということは「1」を経験する可能性の始まりと完全にイコールになる。加えて「1」の種類もいろいろに知ってしまった。
 怖きゃ、やめりゃ〜いいんだけど、子ども欲しいという欲がそこでは捨てきれなかった。というか、結局のとこ子ども欲しいという欲が不安に勝つわけで。また、世間様にはどんな「1」でも、自分の愛情は堂々と「1」なのだと知ったということもある。
 だから。「1」に進み出すことで、まあそこでどんなハンディがやってきても、そのときはそのときで自分の人生だ、と。そこで「逃げるわきゃいかないことに、こつこつとやってきたんだから、またそれをやるだけなんだな」と。そうなるわけで。
 でもって、「障害」という名のものをなんらかの形で体験してる人は、みんなやってると思うんですよね「ただどんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していくこと」というのは。だって逃げられね〜もの。だからみんなやってることだと思う。そして「こつこつと解決していくこと」というのは、はっきり言ってしまえば、ゴールは無いと思う。
 だから、いろんな場面でいろんな言い方はするよな、と。片面側の言い方をしたからと言って、それがその人が全て「はい、そっち側」とは言えないだろうなと。
 ただ場面によって言い方を選ぶことはあるだろうな、と。マイナス思考の言葉に関して、そのマイナス思考の言葉にインパクトを感じ過ぎるだろう相手には言わないことはあるし、その逆もあると思う。そしてどんな場面でどんな言い方をするかということは、その反応も受け入れなければならないことだし、それは自明の上で、いろんな言い方をすることはあるだろうな、と。
 「作者との距離」という文章の中で、引用されたコメント部。「特殊学級出身者なんで」という文章の内容に関して、まあどうとらえるかは読んだ人の感覚によるところは大きいとは思うんですが。わたしは冗談や揶揄でもってきたというより、この短い文章中で(あら?…)って感触があったというか。だからもしもそうならば、こういう表現でもってくることに対して、「『どんなことが起きても、目の前のことをこつこつと解決していく』努力を続けておられる人たちに対しても、どちらにも随分乱暴な物言いだ」という部分で、わたしは、思わなかった。ご自身が選択した表現だろうとしか思わなかった。
 わたし自身の関心は。こうした表現自体ではなく、実はこうした表現を生み出している「個人を越えたナニモノか」ということなんじゃないかと思う。この表現が「冗談のつもり」だったとしても。

*自分にとっての参考リンク