リツエアクベバ

satomies’s diary

ある「事件」についての話

渦中の対象になっている学生は、うちの娘や息子となんぼも年が変わらん。この学生が自分の子だったら、自分はどうするだろうと。そのことをずっと考えてる。

  • で、アンタはどう思うの? 何を考えるの?

そしてその中で「気づいて欲しい」こととか「拾って欲しい」こととか。本人がここからどう成長していけるかとか。

  • 恥ずかしいのは過ちを犯すことじゃない。過ちを過ちのまま放置し、そこから成長できないことだ。

ネットだのtwitterだのということがどうのではなく、自分の言動行動というものは、常に自分に責任が返る。そういうことだと思うし、その時にどういう「自分」があるかということ。そこに人間の真価というものはあるとわたしは思う。
あとは、一年余計にかかることになるかもしれん学費の工面を考える。留年して一年痛い思いをして、そこから自分にとって拾うべきものを拾う経験をさせたいと思うし、して欲しいと思う「親」だと思う、わたしは。大学の一年間の学費はそんなに安いもんではない(つーか、ウチの家計にとってはとても重大重要な金額だ!)という事実をもって、再度考えろ、とも思う。親なんだからバックは支えてやる、ただし立ち上がるのも歩み出すのもアンタだよ、と。
人間生きていかなきゃならんのだからひとつひとつ越えていかなきゃならないし、重要なのはその「越え方」だと思う。その「越え方」をもって、自分自身を大切にして欲しいと思う。