リツエアクベバ

satomies’s diary

90歳

91歳になった母と昨日話していたこと。母が言う。

「90歳なにがめでたい」という映画の宣伝を、おもしろおかしく最近テレビでやっているが。
わたしは90歳は「めでたい」と思うのよ。

元気ではいるが、やはり老いを感じてきている母は、90の節目を超えたことに感慨はあるように思う。実際、今から考えれば80も85も「若かった」。支援も介護もつかないが、確実に衰えた。

わたしは「90歳。何がめでたい」の書籍を読んだ。世の中は、要介護の90歳の話か、バリバリと活躍する90歳の話かの両極端ばかりで。
要支援すらつかないが、バリバリでもなく、大病をしているわけではないが、常に快調でもない。そんな90歳の話をわたしは母以外知らない。しかしそんな90歳の話がやっと聞けた感があった。

母にその話をした、関心はもったが母はもう紙の本は目が疲れて長くは読めない。それで試しに電子書籍リーダーを渡してみたら、見事にはまったという流れだった。この本はすぐに読了。電子書籍で、母は既に6冊目に入っている。

「90歳はめでたいと思う」という母に、わたしが答える。

90歳はめでたいよ。それは80の自分とも85の自分とももう違って、確実にいろいろなものを失っていってここまできた、と。
へとへとな実感をもちながら、ああここまで来たなあというのは、やっばりめでたいよ。
「90歳、なにがめでたい」というのは、そんなことを本当にはわかっちゃいないだろって輩たちが「めでたい」とか軽く言っているように思える見えることに対しての、ってところだと思うよ。

映画の宣伝を見ても、予告あたりくらいでの感想だが。年寄り話エンターテイメントくらいにしか思えないし、別に興味もない。ぶっちゃけ、なんかバカバカしい。

「90歳。何がめでたい」の書籍のレビューに「笑える」とあったりするが。わたしは別に笑えるとかはなかった。リアルな生活だよなと思った。

佐藤愛子氏のエッセイは、物事を戯画化して描かれるものと、きちんと考察されるものがある。
その両方を読まなければ本当のところはわからんよと思うが、佐藤愛子氏本人はそのあたり「好きにしてください」的なところはあるので、それはそれでいいのだと思う。