リツエアクベバ

satomies’s diary

高齢者一人暮らし

同い年の友人に会って、親の話になった。父が去年亡くなったということで、うちの母の話になった。
「おかあさん、一人で住んでるんだよね」
ふむ、そうです。母は去年80代に突入した。80代一人暮らしというのは、「している」というニュアンスに加えて「させている」というニュアンスも入ってくる微妙なものだと思う。
母は昔、友人と会っていた時に、その時の周囲と話が合わずに席を立って帰ってきたことがあるんだそうだ。最近初めて聞いた。その話は「子どもと住む」という話だそうだ。年老いた親は子どもに迎えられて一緒に住むのが幸せで、それを望んで言い出してくれる子どもがいい子どもで、そういう子どもをもった親が勝ち組なんだそうだ。「わたしはわたしの家で、わたしの好きなように暮らしたい」というのは、そうした子どもが持てない人間の負け惜しみで無理しているというのが普通なんじゃないか、とか、そういう風に主張する人間が場の話題の中心にいたんだとか。そうじゃないんだ、自分は子ども世帯と住む気の使う生活をするのは嫌なんだと言っても、はいはいはいはい、それ建前建前、みたいになるのが本当に嫌だったとかいう話だった。
父が死に、姉と母と話し、母の一人暮らしが始まった。母は、ここに一人でこのまま住みたいのだということが、ちゃんとわたしに理解されたのか知りたがった。母の好みや趣味で埋め尽くされたこの家から母を引っ張りだして、母にとってここまでの趣味を通せない家の片隅に母をおくことはわたしには考えられないという話を母にした。ただ年はこれからも取っていく。どんなことがあるかわからない。今より変化してきたらそれはその時に考えよう。
母の希望を重視、とはいえ、母が「子どもに呼んでもらえない気の毒な親」と見られることがあるのだったら、わたしは「年老いた母を一人で住まわせている親不孝な娘」という位置づけでとらえられることが出てくるんだろう。
「独居老人」という言葉をwebで調べてみる。ウィキペディアでこんな文章があった。狭義でいえば母はいわゆる「問題ある独居老人」にはならないと、ちょっと安心した。地域社会との接点もあり、定期的に参加する趣味やボランティアもある。付き合っている人間関係も幅広い。

一人で生活している独居老人だがより狭義には定年退職などの形で所定の仕事には付いていない、あるいは地域社会との接点を持たない・何等かのコミュニティに属していない人を指す。一般に、所定の仕事に付いていたり地域社会に何等かの関係を持っている場合にはあまり意識してこのようには呼ばれない。(Wikipedeia 独居老人/概要)]

今後どうなっていくか。生活に困難が出てきたら、母はヘルパー等のサービスを組み合わせて、なんとかこの家を出たくないという意志をもっているんだそうだ。母の生活環境を点検しながら、年寄りは都会で住むのが便利だなと思う。家を出て2分ほどの距離にコンビニがあり、5分で商店街に出られ、15分で新宿に出られる。わたしのところに母を連れてきたならば、とうていこんな環境は望めない。自分の足で歩くより車で連れていかれることが増え、自分で生きる力は今より取り上げられる状態になるだろうと思う。自分の力で生きるには都会の方がいい。
ちょこちょことマメには通えばいい話なのだが、マメに行こうとすると怪訝な顔をする。そうそうまだまだ年寄り扱いされたくないらしい。毎日近所のジムに通い、ヨガだのフラだの健康体操だのに参加している。そのスケジュールの邪魔もされたくないらしい。
平日の日中に母のところに行くときは、娘を作業所に出してから行く。早くて10時半頃に着き、遅くても11時過ぎには到着する。そして娘の帰宅に間に合うように、3時過ぎには家を出る。「ちょっと遊びに行く」程度で済む今はこれでいいのだけれど、もっと老人老人してきてそれなりに手が必要になったら、多分これでは済まない時もくるだろう。
母はここ数年風邪も引かず、熱を出したことも無いのだけれど。最近、「体調ヤバいと思ったら、倒れる前に下着をカバンに詰めておけ」と言うことにした。自分の飯の準備ができない状態になったら、連れて帰らなければならない。うちにいるのは成人した娘と言ってもそれは年齢だけで、学童と同様の手が必要な子どもなのだからとてもすんなり置いて長時間実家に滞在するわけにはいかない。
「体調ヤバいと思ったら、倒れる前に下着をカバンに詰めておけ」。たったこれだけのことなのだけれど、母は不満そうだ。ヘルパーうんぬん、だからあのね、急場の話で臨時だから臨時。
根底には、数年先の自分に対しての不安があるようにも思う。今は元気だが、足元に底なしの沼があり、いつその沼地が自分を招き入れるかわからない気持ちがあるんだろう。だからだろうと思う、自分の今後についての話にナーバスな顔を時々覗かせる。それはけして他人事ではなく、いつか自分にもやってくるものなんだろうと母の不安に自分の「いつか」を予習してるような気持ちで見ている自分がいる。