リツエアクベバ

satomies’s diary

高校生になった息子へ

「アレをしていい、コレはイカンとかなんとか。中学を卒業して高校生になったアンタに、もういちいちそんなことは言わん。これからは自分で判断しなさい。いいとか悪いとか、そういうことの判断基準になるものは今までに渡してきたと思うし、ルールに関してきちんとした感覚を持っているアンタをわたしは信用する。
その上で。アンタの保護者である両親が『ふむ?』とか思うことがあったときには、今後はそういうことに関して理由を聞く。自分自身の行動に関して、相手にきちんとその理由を説明し理解を求める、と。そういうことを今後は学びなさい」。
ってなことを言いました。えっと、と思って過去ログを掘り出す。日記って便利ね。

2007年2月17日更新分より

  • ダメってことにはさ、みんな理由ってのがあるわけだよ。その理由ってのを考えることに麻痺すると、いろんなことがいいやいいやになっていくわけだよ。だから「ダメって言われたから」ではなくて、「ダメとされる理由がなんなんだ」ってことを、アンタ自身が考えていかなきゃならない年齢ってのが、これから始まるんだと思うよ。
  • ダメってのはわかってて、でもやりたい理由ってのがあって、その理由ってのをわかってもらうためには信頼されなきゃいけないわけで。そういうことをわかっていくってのが、小学生じゃなくて中学生なんだ、ってことのように思うよ、と。
  • 「自己責任」って言葉ってのがあってさ、小学生から中学生になるってことは、この自己責任ってことを知っていく、覚えていく、って、そういう年齢になってくってことなんじゃないかと思うよ。でもって、この自己責任ってヤツは、いいやいいやじゃわかんない、ってものなんじゃないかとも思うよ。

これは小6の子に言ったことか、と思う。15になったらもっと簡単に言えるもんだ。理解力も格段に上がってるのは、やはり中学三年間の成長の濃さだろうとも思う。
今回入学した高校の合格者説明会でも、そうした話が出た。「本校は自己選択自己責任を重視する」と。「校則うんぬんよりも、自分で考えて自分で判断するということが重要である」と。「規範に関して、自分で考えて判断する力をもって行動するように」という話。
ルールを強制して縛るよりも、ルールの意味を自分で考えて判断するという方が、育つものは大きいと思う。自分にとってゆずれないもの、その集団において社会から要求されるルール、そしてその調整。これは学校という場を出てもなんらかの集団に属している限り、一生続くものなんだものね。