リツエアクベバ

satomies’s diary

「若草物語」に関して、つらつらと

 小学生のときに、オルコットの「若草物語」を読む。低学年向けだの高学年向けだの、多種の翻訳版を読む。細かい表現や挿絵のパーセンテージなんぞはちがっていたが、たいがいは「お父様は戦地」で「長女メグがプロポーズを受けるがまだ未婚」で、少女時代のままで終わっていたと思う。
 これは「若草物語」の前半部であり、一部でしかない。少女時代だけのストーリー。「若草物語」には続編があり、少女たちは大人になり、それぞれの苦悩を越えて、それぞれの人生を歩む。
 わたしがそのことを小学生時代に知ったのは、次女ジョーが学びたい子に勉強を、愛されたい子に愛情を、という学校を作って夫婦で展開されていく話を読んだことから。人間は簡単には物事を解決していくことができないということ、そしてあきらめないこと。そのことを、「若草物語」でいきいきと存在していたジョーが成人して体現しているようなストーリーは、とても魅力的で記憶に強く残っていく。そのときに読んだ本のタイトルは、「愛の学校」だったか「愛の学園」だったか、まあ、陳腐なタイトルではあったなあと今になって思う。
 中学生のときだったか、「四人姉妹の少女」と「学校を展開させていく婦人」との間という、抜け落ちているジョーの半生がどうやって読めるのか探す。「若草物語」というものが第一から第四まで存在することをこのときに知るが、その当時のつたない探し方の中では、とうとうジョーが後に結婚する相手のベアと出会う頃までしか見つからなかった。しかも少女時代を描いた本の群れの中をかいくぐってやっと見つけた、という感じだった。そういえば小学生のときも、学校の図書館に「若草物語」の少女時代のものはたくさんあるのに、ジョーの学校を描いたものは、高学年向けにたった一冊しか無かった。
 そのころだったと思う。テレビで1949年撮影の米映画「若草物語」を見る。二時間ほどの時間の中で、少女時代のエピソードの半分くらいは削られ、少女から大人になっていくジョーの苦悩が中心に描かれる。長女メグの恋愛や結婚では姉を失う淋しさから素直になれない。ローリーとの関係では、仲のいい異性の友人という関係に恋愛感情が介入していくことを知っていくこと、愛されていることに助けられる部分を大きく認識しながら、自分のやりたいことを軽視する相手との「価値観の相違」に気づき、相手の恋を受け入れられないことは友人を失うこと、という悲しみを経験する。自分をどこか誤魔化し、やりたいと思っていたはずのことに対しての気持ちが曇り始めていくことに気づいていたときに、ストレートにその問題を指摘し、彼女の「意志」を助けていく、後に夫となるベアとの出会い。ベスの死。欲しかったものを映像でみせてくれる喜び、というものがあった。わたしが自分の中に育んでいた原作のイメージを裏切らなかった。
 三流小説家として小銭を稼いでいたジョーにきつい指摘と期待を伝え作品を書かせ、出版に奔走し、製本された一冊を持ってベアがジョーを訪ねるところでこの映画は終わる。ここで出てくる出版された本、これはオルコットは自分をモデルに若草物語を書いたというエピソードをきちんとおさえた終わり方だった。
 その後のジョーの人生としての「学校編」に関しては、’93年に「若草物語 ナンとジョー先生」として、テレビでアニメとして放送される。ああ、アレだ、と思ったけれど見なかったのは、最初に原作を読みたいと思っていたから。ひとつひとつのエピソードを教育的におさめていく感じを予測してしまったのも要因。
 ただ、このアニメは続々と、若草物語の中編・後編の翻訳本の出版を促した。このアニメの原作は「第三若草物語」だったということ。その「第三」というものがあったということを、このアニメで知った人も多いのだろうと思う。
 なんてことをいっぱい書きたくなったのは、ふふんふんふんふふふんふん、昨日買っちゃったの、観ちゃったの、何十年ぶりに再会した映像。

若草物語 LITTLE WOMEN 1949年版

 「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」シリーズのひとつで、たった500円で好きだった映像に再会して、なかなかにご機嫌で、そして余韻いっぱい。
 小学生のときに「若草物語」と出会い、そして思春期に続編をさがしていたわたしの感想としては。わたしが10代のときに「さがしても見つけにくかった」ストーリーがここにはある、という感じ。「若草物語」の日本での扱いとして感じていたのは、いきいきとした少女時代ばかりに脚光を浴びせ、少女とは言えない年齢を迎えてその成長の中での苦悩ってのは「あるけどあまり表に出てこない」印象を持たせられるのはなぜかな、とも思うこと。苦悩を越えなきゃ大人にはならないし、越えられない苦悩なんてのはたくさんあるよね、って思うのがまあ人生ってヤツだと思う。
 少女時代のやんちゃは影を潜めていくけれど、ジョーのきらめきはずっと変わらない、ってのを、この映画はきちんと押さえていること。これもわたしには喜び、って感じかな、とも思う。32歳の女性が少女時代からのジョーをいきいきと演じている姿も素敵。きらめきっつ〜のは実年齢だけじゃ左右されないよな、と思うよ思う。
 わたしがジョーをずっと好きだったのは、楽しいときに楽しいと体いっぱいに表現し、悲しいときに悲しいと悲しみに向き合い、そして「かんしゃく持ち」な自分なんてことを悩んでたこと。そうだ、カッとしたときに10数える、ってのはジョーが教えてくれたことだった、なんてことを何十年もの年数を経て思い出した。「かんしゃく持ち」なジョーが、子どもを見守り、待つことを大事にしていく、実子だけではないたくさんの子どもたちの母親になっていくとこも好きだった。ジョーの魅力を一言でいえば「まっすぐ」ってことだと思う。
 昨日、外出のついでに買ったDVD。たった500円しか支払っていないけれど、けっこうなお宝になっていきそう。
*参考リンク:若草物語(ウィキペディア)