リツエアクベバ

satomies’s diary

鏡の法則

 ダウン症の赤ちゃんのママの口から、まあけっこう出てくる言葉で「立ち直る」って言葉があって。「まだ立ち直っていない」とか「立ち直った」とかなんとか。
 ほぼ10ヶ月程度の間、いや妊娠に気づいて妊婦検診が始まってってことで考えればもっと短いけれど数ヶ月という長い間、もっといえば妊娠ってことを体験するそれまでの人生っていう中で、現実的な感覚で想像もしていなかったことが我が身に降りかかってくることなわけで。衝撃がでかいのは誰がなっつったって、ものすご〜〜く自然なことだと思う。その(自分には縁がなかろ)っていう根拠の無い感覚ががらがらと崩れていくってこと、そんな2〜3ヶ月かそこら半年かそこらで「立ち直りました」なんていう仰々しい言葉が出てくることは不自然だとわたしは思う。
 それはなんか、こうでなければならない予定調和に向かって走らなきゃいけない、という強迫観念みたいなものがあるんじゃないかと思う。
 いいじゃないか、衝撃を受けていたって。いいじゃないか、愕然としていたって。今は今。ど〜〜〜せ、心理ってのは変わっていくんだもの。そしてその衝撃の時期ってのをきちんと通ることって、実はとても大事なことなんじゃないかと思う。そんなになんか、こうでなければならない予定調和に向かって走らなくたっていいんじゃないかと思う。
 「鏡の法則」ねえ。
 こういうのが、「予定調和に向かって走っていかなきゃいけない」心理を作り出すのかなあ、なんてことを思った。どんなことでも気づくってことは大きいとは思うけれど、思考を積むことに対してそんなに簡単に状況は変化しないし、伝播していくような善なんてのもそんなに簡単に起きないよ。だいたいちょっと心理をノックしたくらいでがらがらと崩れる親子の壁、なんてのは、平和な設定がそこに存在していなきゃあり得ない。
 予定調和なんてとこに対して、起承転結のプレッシャーのようなものにぐいぐいと押されなくたって、ちょっとずつ積んでいけば自ずと道は開けていくと思う。そのちょっとずつ積んでいくときに一番障害になるのは、こういう「起承転結ちゃんちゃんちゃん」っていう、妙なお仕着せ的イメージのような気がするんだけどな。