リツエアクベバ

satomies’s diary

修学旅行最終日

今日は娘の修学旅行の最終日。娘不在の三泊四日が今夜で終わり、明日は帰宅。生まれて初めて三泊という期間、娘とわたしが離れる日。
息子の三泊四日の不在に関しては「おお行ってこい」的な感じなのに、娘不在に関しては、出発前夜にちょいとナーバスにもなった。ああ淋しい。自分の手が離れないと思う子に関しては、離れる日を想定しにくい子離れ困難感があるんだろうと思う。これは不思議なとこがあるもんで、年齢が大きくなっていく方がずしんと自分に実感させられる。子どもが小さいときにはどこか実感でわかりにくい要素かもとも思うなあ。少なくともわたしは、娘が小さい頃はこのあたりのことが「わかっているつもり」で実のところ、頭で考える以上のことがわかっていなかった部分だとも思う。
いやでも自分の手が離れにくい子だからこそ、人に渡していく練習を自分も子どもも積んでいかなきゃならんのだけれど。いつまでも自分が生きていられるわけじゃない。
これがさ、「頭でわかってる」ってのが子どもの小さい頃かもとも。「頭でわかってる」んだけど、「いつか」とか「その日」とかがどんどん間近になってくる現実感なんだろうな、子どもが大きくなっていくってのは。その「いつか」はいつか来るんだけど、でもまあ今日明日じゃないんだからなあなあ的な感じになっていくような感じ。
娘の特別支援学校の娘の学年は、家から外に出して泊まりで預けたという経験をしたことがある人は多い。それは母親が体を壊したことがきっかけという人がちらほらといて、自分がテキトーに体を壊すことが結果的にいい経験とかきっかけとかになっていくってことになるんだろう。わたしはずっと元気だからなあ。ホントは突然体を壊したときのために練習しとかなきゃいけないんだけど。学年の仲間ママに急逝があって、ホントに現実的にとらえるようになった。彼女に起きたことが自分に起きないなんて確約はどこにもありはしない。
春にやっと重い腰をあげて、泊まりで預かってもらえる施設に登録に行った。「『いつか』のための経験を」ということで、先方もその理由のために快く受け入れていただいたのだけれど。「ではいつにしますか?」と言われれば、その「『いつか』のための経験」に、「今必要な理由があって」という人の需要のための日程に割り込むのかと思うと気が引けて。「割り込むのは悪いから、そちらが余裕のあるときに連絡ください」と言ったら、「はいではそうしましょう」と言われて結局は連絡はいまだに来ない。どうしたもんかと思いながら、結局はそのまま。
修学旅行はなんだかんだ言っても安心。それは日程にいろんなものをぶちこんで、三泊四日のスケジュールがぎっちり組まれ、事前学習も積み、予定をこなしていく三泊四日だからだろうと思う。
いつか自分の手を放して福祉にゆだねていかなきゃならなくなるときに、そんなぎっちりスケジュールなんてのは存在しない。場を変えてこつこつと日常を重ねることが必要。
そういう意味で言ったら、5年生のときの一週間の入院経験の方が大きかったかもなあとも。面会時間にかーちゃんは来るが、そこにその生活にレクリエーションだのなんかの予定だのなんてのは無く、せいぜい小児病棟のプレイルームにちょこっと行かせてもらえる時間があるか否かとか、点滴がらがらと引きずってトイレに行くとか。あとはベッドの上でまあテキトーに自分の好きなことやって過ごすのみ。病院は遊びに行く場所でもなんでもなく、同室に母恋しで泣き叫ぶ子がちらほらといたり。これをこつこつと一週間やってたのはけっこうな経験だったかもとも。
障害をもって生きる生活のクオリティオブライフがなんちゃらってのはあるけれど。でもそれは日常をこつこつと生きていけるというとこの前提でまああるかもしれないことで。
これがさ、まあすごいよくわかるフレーズみたいなとこがあって。

主役じゃない、その他大勢になれなきゃいけない。ナンバーワンじゃなくオンリーワン、なんて言ってられない、ワンオブゼムになってこそ穏便にすごせる。
宿泊体験の失敗から・・さらにその後/障害児Kとおたく母の疾走日記

「障害児」の「児」ももうあと残りわずかになってくると、幼児期学齢期早期とは違う心境が生まれるものだよなあと。ホント、頭で考えてるだけじゃなかなかわからんね。