リツエアクベバ

satomies’s diary

上の子、下の子

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 約束/ぢゃりんこ

 あ、い、て、て、て。という感じ。「わかる」というときに「そうだったのか…」というときに、痛みを伴うというか。そしてその経緯は「下の子が教えたこと」。
 いや〜、実はっすねえ、昨日あげたエントリの内容、それが「わかる」というきっかけは。いや「わかる」ではなく、「わからされる」というきっかけ。これも痛かった。すご〜〜く痛かった。そして「下の子が教えたこと」。教え方はちょっと違うんですけどね。
 下に赤ちゃん生まれたんですよねえ、娘3歳のときに。まあ腹が大きくなるときに赤ちゃん赤ちゃん言ってはいたんだけど。でもねえ、発達年齢半分程度の子の3歳だから。わかんね〜だろなあ、なんてのは当然あった。
 産院行って、でもって赤ちゃん産みましてね。正直ぽんと出てきた新しい生き物よりも、たった3年でも歴史積んでる方がかわいいわけだ。赤ちゃん産むために数日離れた娘と、わたしは早く会いたかったわけだ。
 しら〜っと無視されました、わたしは。 
 陣痛起きて産院行ったわけだけど。娘にとってはある意味突然消えたわけだ、母親が。と、いうことを、まあしゃあないよなあと。このときにはこの「しら〜っと無視された」事実の大きさにまだ気づいていなかったわけだ。
 退院して赤ちゃんとの生活が始まったわけで。赤ちゃんはかわいがってましたね、小さい子好きだし。
 そして退院してからちょうど一週間後、ソレは起きたわけだ。赤ん坊に授乳するのを見ていた娘が。それまではその一週間の間はなんてことない顔で見ていた娘が。突然突っ伏して号泣した。嗚咽、嗚咽、嗚咽。そして嘔吐、嘔吐、嘔吐。吐きまくった。何度も何度も吐きまくった。慌てて近所のかかりつけの小児科医のところに連れていった。
 医師が丁寧に診察。黙って深刻そうな顔をして丁寧に診察。そしてゆっくりとわたしの方を向いて言ったわけです。
 「今のあなたにこのことを言うのは酷かもしれない。でも。意識してこの子と二人の時間を作ってやってください。この嘔吐は精神的なショックですね」と。
 なんかもう、足下ががらがらと崩れるような感じ。そんなにつらかったのか、そんなにつらかったのか、そんなにつらかったのかと。下の子が生まれる、環境が変わる。そんなことはどこにだって誰にだって起きてることじゃないか。それがそんなにもつらかったのか。と思った。
 ああ、この子は。この子は3歳なんだ、と思った。知的能力が半分だろうがなんだろうが、この子は人生を3年やってきたんだと思った。生きてる年数分の気持ちが育ってるのに、情報認識能力や表出能力がその年齢にそぐうものではないことはどんなにかつらかろうと思った。「知的障害」ということが、知恵遅れのレッテルではないところでわかったような気がした。本人のもつつらさとして。
 では、この子の発達が表出能力がまともに3歳の子にそぐうものだったならば。それはそれなりに気持ちを救うものになったかもしれないけれど。でも。それはそれなりに気持ちを救うものというよりも。わたしが、わたし自身が、「言ったじゃないか」という感覚をもつんじゃないだろうか。「しょうがないでしょ」という気持ちをもつんじゃないだろうか。
 と、思ったときに。普通の子ってのも大変なんだな、と。言って伝わるものもあるかもしれないけれど、「言ったでしょ」ってのを親が免罪符にするとこも大きいんじゃなかろうか、と。
 なんて目線がその後もいろんなケースでわたしの中にじわじわと育っていくわけです。このことをきっかけに。そういえば。大人になった人の「子どものときにじっとこらえた気持ち」というものは、たいがいはその親に気づかれていないものが多いじゃないか、とか。
 その後、娘の「言えない気持ち」に対してのセンサーは意識して張るようになりました。この後は吐きまくりもでず、でも娘からは「母親よりもまず父親」的な冷遇を受けつつ。そんなこんなでゆっくりと越えていくわけです。でも赤ん坊はめちゃくちゃかわいがってました。嫉妬で赤ん坊つねったりする子の方がこの辺もしかしたら心理的にここまで追いつめられなかったかも、とも思った。赤ん坊大事にしてたからこそ、行き場がなかったんだろうな。