リツエアクベバ

satomies’s diary

チェーンメール

 1月25日更新分で。息子に「神の手」を検索で調べて出して見せて。そして↓以上のことはこのときは言わなかった。

 あのね。○人に送るとどーたらこーたらってのは、それはチェーンメールって呼ばれるもんなんだよ。わーわー送って回るのは迷惑だからね、そうかってとこで終わりにしときなさいね。あと「チェーンメール」って言葉自体を覚えときなさい。

 これ以上言わなかった理由は。息子に説明できる状態になるまでのことを、わたしはまだ知らない調べていないと思ったから。
 整理するとこんな感じになるのか。

  1. チェーンメールはなぜ迷惑なのか?
    • 大量の送受信が行われることで起きる、システムにかかる負荷の問題
    • 送信する相手に次の行動を強制すること
  2. チェーンメールのルーツは?
    • ハガキ使用時代の「インターナショナルゲーム」や「不幸の手紙
  3. チェーンメールの内容によって、チェーンメール自体がいいか悪いかその位置づけが変わるものか?
    • 「システムにかかる負荷の問題」や、「送信する相手に次の行動を強制すること」という問題自体に関して、その内容は無関係。
  4. チェーンメールの背景にある問題点とは?
    • 「不確かであることを伝聞の形で信じてしまう」という問題
    • 「流れを止める人間になる勇気」よりも、場に流されてしまう問題

 わたしは。4が一番大きい問題のようにも思う。誰かが簡単に言ってきたことをそんなに簡単に信じるなよ、と。入ってくる「情報」に関して、正確性を確認するような姿勢は大事だよな、と思う。
 息子んとこにチェーンメールが入ってきて。これはね、というときに。結局伝えたいのはチェーンメール自体のことだけではないんだな、と思った。集団心理の渦の中に簡単に身を投じることに慣れてしまったら、物事を見つめる目を失うぞ、ってことなんじゃないのかな、と。
 「神の手」メールに関して、はてなダイアリーのキーワード編集をされたid:Bushdogさん。この方の「神の手」エントリをつらつら読ませていただいたんだけど。一番つつ〜っと関心がいったのはこのエントリのこの部分。

今回、改めて分かったのは、ケータイでのコミュニケーションというのは結構閉ざされた世界で、PCでのネットサーフのように「ちょっと横道にそれてググッてみよう」という行動には結びつかないんだなぁ、ということだった。
「神の手」は加工画像:“お天気の森田さん”が明言 - やぶいぬ日記

 わーとかきゃーとか盛り上がり性の強い対話の場面で。そこではコミュニケーションが「続いていく」ことが主目的で、その「続いていく」材料となるものの実体を確認したりしようとすることは「空気が読めない」こと。そういうのに似てるなあと思った。
 でもさ。それってホントのとこはわからないよね。って。そういうことを集団の中で言うのって、勇気がいるとき、あるよなと思う。わざわざ口に出して言ったって、そこの場面じゃ何のメリットも得られんだろ、みたいな。誰も正確性なんて求めてないんだよ、大事なのは空気だよ、と。そんな風な場ってあるよな、とも思う。
 人の噂みたいな話は、こういう集団の流れ心理は大きく動くと思う。「神の手」メールってのは、どうしても「いい人」にしておきたい人物の噂話みたいなものかもしれない。
 なんて、チェーンメールからどんどん思考は脱線していくのだけれど。チェーンメール自体に関しては。いろいろなサイトにいろいろなことが書かれていたけれど、整理されてまとまっていたのがココでした。

撃退!チェーンメール/迷惑メール相談センター