リツエアクベバ

satomies’s diary

きをふしコメントからアレコレ

 きをふしコメントゲット。

 kiwofusi 『珍しくヤフーできをふしと検索をかけてみたら、ここが上位にヒットしたのでじっくりと読み返してみました。いやあ、よいものですね。』

 わたしも読み返してみましたよ、いやあ、よいものですね。世の中の誰かの好みでいいとか別に?とかってこと、全然関係なく、もう堂々と自分の主観で言ってしまう。いやあ、よいものですね。こうやって語られることもよいものだろう、どうだ、なんてこと、モニターの前で威張ってみる。
 この記事に語られているきをふしを再読しに行く。 とてもきをふし2006年03月03日(金)。フォッフォッフォッ。いや、やっぱりいいわ、コレ。この文章について語りたい欲はたくさんあるんだけれど、元の文章を汚してしまうような陳腐なものになりそうな気がするのでぐっと我慢する。あのね、いいでしょ、いいんだよ、わかる? わかんなきゃいいや、って、そんな感じ。
 はてブコメントにレス:きをふしファンサイト宣言は、元記事があるわけで、その元記事も再読。

 きをふしが変化していく、黒板ぽが動いていたときのきをふしよりも、最近のきをふしはよくはねる、そして飛ぶ、それから落下し、着地時点でふわりとふり向いて舌を出す。
 きをふしの文字が跳ねる、きをふしの文字が踊る、照れくさそうにふり返る、それを手をたたきながら見つめるわたし。ああ、ファンだなあ。
 そうやって手をたたきながら眺めてきゃーきゃーと思う、これってファンだ。言葉の意味はいつもその後からついてくる。

 これを書いたときから、さらにまたきをふしが変化していく。今のきをふしの文字は跳ねたり踊ったりはしない。わたしはそこにまたついていく。きをふしを作る人間がきをふしをweb上に出していく限り、わたしは閲覧を続けるだろう。その理由は? ファンだから。わたしはすでにきをふしの「存在」自体のファンだから。