わたしにとってのはてなブックマークは、自分のための書庫、自分のためのURLの記録、再読したいもの、あとで引っ張り出してくる可能性の高いものなどを「アドレスをなくさない」ためにおいている場所という位置づけ。だから自分がわかればいいので、ほとんどコメントをつけることはない。
ただ、昨日、珍しくコメント入れ。書いた人間がそのブックマークを見ることがあったなら、「この理由で入れたのよ」という理由を渡すようなコメント。
コメントを入れたのはコレ。
言葉の汚さについて (セックスなんてくそくらえ)
2006年11月08日
[blog]「きれいはきたない きたないはきれい」 文体 文学的実験
「きれいはきたない きたないはきれい」は、知ってる人に対しては、わざわざ出すことがうんちくたれるようで気恥ずかしいので出さなかったけれど、これはマクベスの魔女のセリフ「Fair is foul, and foul is fair.」
→ ウィリアム・シェイクスピア/フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)
「セックスなんてくそくらえ」というタイトルをつけたはてなの方のブログは、わたしは過去ログは6月末に完読。同じ方が書いたであろう小説を、検索でウェブ上から引っ張り出して読んでもいる。
「きれいはきたない きたないはきれい」だけでなく、この方が書くものは「愛情と憎悪 憎悪と愛情」「誠実と嘘 嘘と誠実」という要素もある。以前は情景を語る手法でもってくるものも多かったけれど、最近はブログを語る切り口でもってきている、と解釈。
文体としての実験。ワンセンテンスの長さ、句読点の使い方。これは以前、きをふしもよくやっていたなあと思う。単純に言って読みにくく、言葉とその言葉の連続の意味はとらえにくく、だからこそ読むものを引っ張るものがなければただの悪文にしかならない文体。やってみるとわかると思うけれど、わたしはかなり難しいやり方だと思う。今のところはきをふしと、このブログの筆者である正午さん以外の書き手でこのやり方を取っても、多分わたしは「読みにくい」で投げ出すような気もする。
今回のこの「言葉の汚さについて」についてのこの手法は、少なくともわたしにとっては成功していて、充分に魅力があったということでブックマーク。