リツエアクベバ

satomies’s diary

「ねえ、どこに行っていたの?」

夫に聞く。家族で外出をした。普段使わない私鉄の駅で「ちょっと」と言って、夫と息子が改札を通っていった。
わたしは娘と。どこにいたんだっけ。誰かと話していた、「きっとトイレか何かでしょう」。何時間も帰ってこないトイレってなに?

「ねえ、どこに行っていたの?」

夫が黙っている。ひたすら黙っている。黙って座っている。あそこで別れた時に持っていなかったものを持っている。

「誰かに。誰かに会っていたのね」

夫が黙っている。ああ。どうしよう。このままわたしはここで生活していっていいのだろうか。ふつうの夫婦はふつうに話し合えるのだろうが、なんだか「代々の土地」とかめんどくさいものを背負っている長男の夫で。そんなめんどくさいところで女のきょうだいと親戚ばかりな環境で。そんなものを抱えた夫に大事にされない状態でわたしはここで生活できるんだろうか。とか、次々にいろいろなことを考える。

「って、今ココ」

と、目が覚めたばかりの夫に、さっきまで寝ていたくせにべらべらと「さっきまでの世界」をわたしが説明する。

「はいはい」と、夫が言う。
「そういうことはそっちの世界で全部そっちの人に言ってきてくれ」と、夫が言う。

ふうむ、と、わたしが考える。ああ、なんでわたしは息子に聞かなかったんだろう。あの子はすぐ口を割るのに。いや。誰かを守るためならたぶん、口は開かない。

「ねえ。おとうさんとどこにいったの?」

夕食のときに息子に聞く。「は?」と息子がわたしの顔を見て、それから言う。「また変な夢を見たのか」。

また、とか。いや、そんなことを言われるような頻度でもないぞ。
たぶん。昨日の夜、「これはこれで今のしあわせ」と、日記に書いた。その「今の平和」をぶち壊してみたらしい。

それにしても。初老の夫婦というものは、共同でやっていかなければならない人生、という意味合いが若い頃とはまた別の色で出てくる。
心、というものをつぶして日常を守る人生もたくさんあるだろう。その現実の端っこを、少しかじったような感覚が残る。