リツエアクベバ

satomies’s diary

昨日今日

9月23日

舅逝去の晩、ろくに眠れずに朝。とりあえずわたしはパートに出る。夫は欠勤。息子は元々有給取ってたので休み。娘は通常どおりに通所。

パートから戻る頃、夫から電話。葬儀屋さんが来て納棺することになったとのこと。今行くからと答えて家に戻らずにそのまま実家へ。

既に納棺の儀、開始。旅支度が始まっていた。昨夜、エンゼルケアの時にパジャマから普通の服装に着替えた。そこから、足袋、手甲、脚絆。片方ずつ二人で家族が身につけさせ、白い紐を固結びにするのだそうだ。
自分たちはここをやったから、こっちをやってと義妹に言われ、夫とペアで手甲を結ぶ。「いってらっしゃい」と舅に声をかける。

あと、もうひとつ上のほう、なんだっけ。ああ、ポシェットみたいなものを持たせる。六文銭を入れるのだそうだが、火葬に金属は入れられないからと「六文銭のシール」を入れるのだそうだ。

これがペアで支度をさせるものの最後になるのだそうで、義妹がわたしに夫とやれと促すのだが。いや、シメはあなたでしょうとわたしは引く。
舅の大事な大事な跡取り長男と、最期まで舅に丁寧に尽くした義妹と。このふたりが舅にとってのオールスターだろうと思う。

ここのお宅は浄土宗で、わたしの実家は浄土真宗。父を浄土真宗で送ったときに、仏教葬儀ぜんぶ浄土真宗ならいいんじゃね?とこそっと思った。浄土真宗は「往生即成仏」。三途の川への旅はないので旅支度はないし、お団子も守り刀もいらない。戒名もない。
まあ実家であって婚家じゃないからしょうがない。ただ、なんかこんな旅支度とか、わたし自身はいらないかなとも思う。

旅支度を終えて、舅は棺に入った。薄紫の棺。
寝かせておくより納棺したほうが遺体管理が安定するとのことで、納棺することになったのだそうだ。通夜は29日、告別式は30日と決定していた。

葬儀屋が帰り、夫と息子と義妹と四人でなんだかんだ話す。「お昼になるからわたしはおうちに帰ってお蕎麦をゆでる。お昼にしよう」。

蕎麦をゆで、器に盛り、義妹と舅の分を届けに行く。舅が苦しんでいるときに、お蕎麦お蕎麦と言っていた。「今、作ってるから」と言っていた。作ってるから食べていけということだったんだろうか。わからない。この舅の言葉が記憶に強く残り、とにかくわたしは昨日からずっとお蕎麦を食べたかった。

葬儀が決まり、夫は今週は出勤して来週は全日休むことになった。

9月24日

世帯主が死ぬと、相続の手続きが始まる。いろいろと面倒くさい。
金融機関は自分のところの顧問の税理士を紹介すると言ってくる。

父のときにこれを断り、わたしが全て自分でやった。「遺産分割協議書」というのを作るのがいろいろめんどくさいのだが、法務局の人がいろいろ教えてくれる。添削指導を終えて無事に完了。税理士さんをお願いしたら、60万以上かかるとのことだった。

今日実家に行ったら、金融機関の人が「線香をあげさせていただきたい」と訪問していて、すでに義妹に「うちの税理士」の話を始めていた。

「全部やってくれるんだって!」

だから言ったじゃない。やってくれるよ、頼めば楽だ。ただ諭吉が軍隊組んで去っていく。

「でも大変だって」

大変だ、めんどくさい。しかし時給換算したらけっこうなものなんだけどね。

「ふつうの人はできないでしょう?」

義妹がそう先方に聞き、先方がいくつかの質問をわたしにする。作る書類、出てくる法律、このケースでは。と、わたしがそこそこわかっているのを確認する。それから義妹に「できないことではないです、大変だけど」と答える。

支店長がご挨拶に来させていただくと思います。と、客が言う。父のときも、上司が線香をあげにきた。わたしが手続きをすると言ったら、そうですかと言って二度と来なかった。支店長が再度、相続管理の営業に来るのかなあと思いながら、なんとなく聞いていた。義妹が、コロナだから遠慮してほしいと言った。客は「そうですね」と言う。どっちになるんだろう。

「難しくなっちゃったら、途中からでも助けてくださいと言うかもしれません。それでもいいですか?」と訊ねると、二つ返事で「もちろんです」と答える。「ではお名刺いただけますか?」と名刺を受け取る。

さあ、どうなるかな。わたしは諭吉の大軍を作る気はないけど。なにしろここの家は家の敷地が広く、畑も崖になっている売れるはずのない小さな「山林」もある。しかし、金が無い。実際問題、金が無い。これからの義妹の生活もある。諭吉の大軍が動こうとしたら、笛を吹いて止めねばならぬ。まあ大変なのはわかってる、がんばる。