リツエアクベバ

satomies’s diary

わたしは結局、ココに立ち戻るなあと思う

娘が生まれて。ダウン症児だと告知されて。日本ダウン症協会(当時はまだ「こやぎの会」)に連絡を取って。そして近くにあるダウン症児の親のグループに入会。
その会は都内ではけっこう有名どころの集団で、会員数もとても多かった。会報はその要望から全国の親のグループに発送されていて、定例会の見学者も医療や福祉関係者含め、多い方だったと思う。そのグループを立ち上げた人間は、この地域である種カリスマ化した存在にもなっていて、区の福祉関連の賞を受賞なんてこともあった。
このカリスマねえちゃんと出会って早々やたらに仲良くなりまして。娘が一歳のときには「ゼロ歳児から3歳児までのグループの代表」、「グループ全体の副代表」に担ぎ出されたというところで。その後、定例会の担当責任者や会報の編集責任者も経験させていただいて、東京在住の6年間に積み重ねさせていただいたことは本当に多いと思う。
このカリスマねえちゃんは、実はその、自分がある意味カリスマ化していくことにとても抵抗を持っていて。そしてこのカリスマねえちゃんとよく話していたことは。こうした活動の中で特別な人間を作ってはいけないということ。頭に立った人間は、常に続く人間を育てる視点を持っていなければならないということ。
障害をもつ子の親になるってことは、誰にでも起きる。子どものために誰かにどこかに何かを言っていかなければならない必要性は、障害をもつ子の親には確実に訪れる。そのときに支えになることというものは、失敗できる仲間内の場で、失敗してもフォローされる環境で、失敗を含めたたくさんの経験を積み重ねていることが必要なんではないかということ。だから。いろいろな個性の人の中で、元々誰かに何かを言うことができる人がなんだかんだと担う立場を独占していくことを避けなきゃいけない。特別な人を作っちゃいけない。それよりは、たくさんの人にいろいろなチャンスを渡せるような環境を作ることが必要なんではないかということ。
明日は娘の特別支援学校のPTAで、今年度のなんとかかんとかと集合して話し合いがある。その打ち合わせにて、昨年度は会長が話す担当になっていたところをばっさばっさといろんな人に振り分けてもらった。話し合いの事前打ち合わせで話し合うべきことを理解していて、そして実際の場では親分だけが話をする。そういう形と、実際にいろんな人間に仕切りの担当を振り分けて実施する形と。小さいことかもしれないが、絶対にその収穫は違うとわたしは思うんだな。そうした収穫は、その場に立ち会った人間にも、また少しずつ影響していくと思うんだな。
わたしは今年はウチの特別支援学校の保護者の親分かもしれない。でもそんなことは今年だけのこと。わたしがこの一年かけてやっていく仕事ってのは、実際の頭に立ちながら、せっせせっせといろいろなタネを蒔いていくことなんじゃないかと。それは、ああ、結局あの6年間に思っていたことに立ち戻るってことなんだなあと思う。