リツエアクベバ

satomies’s diary

訃報

知りたいことがあり、久しぶりに日本ダウン症協会のサイトを開いた。ある記載に愕然として、それから届いたままになっていた会報を取り出した。

理事長の玉井邦夫氏が、12月31日に亡くなった。

東京在住時に何度かお会いした。娘の就学時に横浜に転居するのだと話すと、横浜市の教育事情を教えてくださった。

この頃、わたしも玉井氏もまだ30代だった。大学院生のときに生まれたお子さんがダウン症だったという、若い父親としてのスタートだった。山梨の大学に勤務する山梨のダウン症の親の会の方だった。
わたしが入っていた親の会のトップと親しく、そんな縁でお会いする機会がちょこちょこあった。
わたしより二つ上で、でも年齢より若く見える、柔らかい印象の方だった。

横浜に転居してから。横浜の特別支援教育関係の公的機関が、親の研修にとよく玉井氏を講師に呼んだ。わたしが挨拶にいくと、まるで旧知の仲のようににこやかに応えて、そしていつもちゃんと覚えていてくれた。何年経っても。神奈川県知的障害養護学校PTA連合会が、親の研修の講演会に呼んだときも。初めてお会いしてから軽く10年以上経っていたのに。

障害について、障害をもつことについて、親が考えることについて、特別支援教育というものについて。非常にわかりやすい話が多かった。

末期ガンで、という療養しながら書いたブログがあった。どんどん書く体力が無くなっていく様がそこにあった。

いい人だった。たくさん学ばせていただいた。

思えば。子どもがダウン症だと、そこから始まった人間関係で。父親が何人も亡くなったなと思う。わたしの直接の知人で、玉井氏と非常に仲がよかったパパも、もう逝ってしまった。

生きていくということは、見送るということだ。出会えてよかったと思いながら、生きていく。