リツエアクベバ

satomies’s diary

あれから12年

玉井邦夫氏の講演に行く。大正大学の教授になられたそうなので、リンクは大正大学のページから。

教員紹介 玉井邦夫/大正大学

初めて玉井氏の講演を聞いたのは12年前。当時参加していたダウン症の親の会の企画で講演に呼んだ。質疑応答の時に聞く。「横浜に転居が決まっている、横浜の就学事情はどんなもの?」「横浜市の障害児の教育事情は進んでいるので、安心して就学相談を受けていいと思う」と話していただく。その後、いろんな意味で安心して横浜の教育事情を調べていき、東京との違いにいろいろと驚いた。
横浜に転居して玉井氏が神奈川のあちこちに出向いた様々な場の講演会で再会。3回くらいかな。その後、東京在住時のダウン症の親の会でシンポジウムを開いたときに、パネラーとしていっしょに参加。
玉井さんの講演は大好き。わかりやすい、そして生活者の視点や親としての視点で親しみやすい語りかけで出てくる。
玉井氏の講演が横浜であるときは、行けるときは行くし、行けないときは周囲にすすめる。「わかりやすいよ、おもしろいよ、実際に目の前で『会っておく』ってことが大きい人だと思うよ」って。だって本当にそう思うんだもの。
今日の講演もおもしろかった。特別支援教育の現状や背景、障害に対してのとらえ方、そしてダウン症者にみられる成人期の問題を例に、知的障害者が大人になることと家族システムの問題等。内容もさることながら、どんな感じの人がどんな風に話すかって、やっぱり大きいと思うな。
講演が終わってから挨拶に行く。そこで「どなたでしたっけ?」もしくは「ああ来てたのか」的な反応になるのかと思ったら、(いたのは当然知ってた)みたいなリアクションで挨拶されて、ある意味ちょいとぶっ飛ぶ。今まで挨拶して一度も「どなたでしたっけ?」リアクションはされたことがないんだけど、最後に二言三言会話を交わしてから、もう数年経ってたし。今日は講演中に向こうからこっちの顔が見えるような場所に座ってはいたけれど、それでもこっちは単なる聴衆の一人だし。それに、だって12年の中で数回だぜ、接点。しかもちょっとした会話程度以上のことはやってないぜ。これだけたくさんの人と接している人にとって、わたしは思い出すのに困難な、まあ思い出せなくてもそんなものだ的な相手だと思っていたぜ。
つーか、わたしがどうってことじゃなく、やっぱそういう人なんだな、と思った。人と接したらちゃんとその人を覚えていくような人なんだな、と思った。
玉井さんが椅子に座っていて。こっちが立った姿勢で話していて、上から見下ろしているのがなんかヤになったので、その場にしゃがみこんで会話をする。
「横浜…、進んでましたよ」と言うと、「そうでしょう?」と返事が返ってくる。12年前の会話のちょっとした完結。