豪州牛肉なんぞ安かったので、おい今日はすき焼きにするぞと。娘が「すきやき」という発音がうまくできず、それがつまらんらしく、夕食の支度をしているそばで「からあげ」「からあげ」としつこく連呼する。
からあげじゃないよすき焼きだよなんぞと言ってもいいんだけど、多分すきやきってのがうまく言えずにいらだってるんだろうなんてのがあって、す「す」き「き」や「や」き「き」なんぞと一音一音口伝えに渡す。すきやき「す・・き」なんぞと中がぐっちゃぐちゃになって、再度すきやきと言うとやっぱり「す・・き」なんぞと言っていて、まいっかもういいやと投げた瞬間、「す き や き」なんぞとうるせーな言えるよばかやろーとでも言いたいようにしっかり言うもんだから笑ってしまう。
ちぃちゃん今日はすき焼きだよと再度言うと、自信たっぷりに「すきやき〜〜」なんぞと答え、連呼するたびに結局「す・・き」と中の滑舌はむちゃくちゃになり、あははと笑いながらネギなんぞ切りながら、なんてかわいいんだろううちの子は、なんぞと思う。こんなしあわせな時間なんてのは、知的障害というワードからくる妙な怖れよりも知的障害が日常になってしまった結果なんだろうなあなんぞと思う。