リツエアクベバ

satomies’s diary

牙をむいて飛びかかってしまったよ…

 昨日のエントリをあげて翌日の今日、牙をむいて飛びかかってしまったよ。相手は娘に対しての自身の攻撃に気づかなかった。わたしは非常に敏感に反応した。その攻撃自体と、そしてその自身の攻撃に気づかないこと自体がわたしが敏感に反応した理由だと思う。
 キーワードは人権、なんだよね。知的障害をもつゆえに、ムードで加害者に仕立て上げられてしまったときに、そこに言葉で抵抗ができない。
 娘は驚くほど敏感にそのムードを背負った。自分を助ける理屈なんぞ自ら思いつくこともできず。
 「ごめんなさいを言って、まずそれからだ」という文章を過去わたしは書きはしたが、言わなくてもいい思わなくてもいい「ごめんなさい」を背負う必要は無い。場を助けるためには、誰かの気持ちを救うためには、わたしは誰にだってなんぼだってごめんなさいは言える。でも背負う必要の無いごめんなさいを、あなたが背負う必要は無いんだよ。場の流れとして安易に背負わされたものを、くつがえすためにわたしは牙をむく。
 「これはおかしい」。怒号と共に発したことに壁が崩れる。発端は怒号でも、人間関係を崩壊させないように、様々な表現で問題性を紐解いていく。対話と和解。人間関係はスムーズさを取り戻す。
 でも…。「あなたが悪いわけじゃない」というわたしの言葉は、娘には慰めにしかならないほどに本人は傷ついた。知的障害ゆえに、論理で場の流れを反芻することはできず。くちびるをかみ、ひ弱にわたしの腕にしがみつき、静かに涙を流す。
 知的障害をもつということは。こんなにも最初のムードに左右されるものかと思った。こんなにもナーバスな一面がこの子にはあるのだと思い知らされた。大人になっていくということは、社会と生活の経験の中で、背負う悲しみの色が深くなることなのだな、と思った。
 すごく乱暴な言い方だけど。知的障害って、バカじゃないんだよね。
 自分が作ってしまった展開に気づき、相手は傷ついた。そのことを解明するために飛びかかったわたしも傷ついた。論理的な解明を思いつつも、そのために相手に与えなくてはならなくなったダメージを思い、うなだれる。反芻し考える。ここで何を拾うべきか。何を糧にして立ち上がるか。
 この、思考を基にする歩みだしに障害があるのが知的障害ということだと思い知る。悲しみから立ち上がるために、論理的に思考することができない。根底を支える自尊感情の大切さをまた、思い知る。
 繰り返し伝えた「あなたは悪くない」という一言。何度目かに「うん」、と、深くうなづく。この、やっと届いた瞬間の「うん」という表情を、わたしは忘れたくないと思った。