リツエアクベバ

satomies’s diary

大事なもの

 おほしさまの人のお話、すごいおもしろかった。

力を力で返す人 /東京横浜オーケストラ

 エピソードが二つ、そして考察。
 まず前者。書かれたテーマとは別に、感じたことふたつ。
 ひとつは。いい先生だなあと思った。「俺」からの訴えに対してきちんと話を聞いた。相手の行動の問題性を冷静に把握した。その後の処理に関して当事者に相談をした。当事者の主意を理解し、その上でうやむやにしない対応を行った。
 当事者性の尊重。教育者としてや集団の管理者として、当然のようにもっと強引なやり方をとる人も存在すると思う。相談するにふさわしい人物だと思った。
 相手にやられたことよりも。この人間関係をもてたことの方が大事なことのように思う。「終わりよければ」の観点の違いというものもあるように思う。
 もうひとつ。お父様のこと。
 お父様の個性として書かれているが。でも。自分がやられたことの感想と、自分の子どもがやられたことの感想は、心理的に違うとわたしは思う。自分のことを我慢できても、また自分のことでは萎縮してしまうことがあっても、それでも自分の子どものことでは同じではない人は多いと思う。自分が大切にするものを傷つけられること。これは場合によっては自分が傷つけられるよりも心理的に大きな怒りを生み出すものだとわたしは思う。
 わたしは。自分が被害という場合で(う〜〜〜〜〜ん……)と流し方を考えるケースでも、同じことを自分の子どもに、って場合は、相手に牙をむきかねないことはあると思う。確実に怒りをおさえられなかった経験は、わたし個人は自分のことよりも、この「自分が大切にしている人間を傷つけられた」ときの方が格段に多いと思う。
 だから。お父様の個性は個性という上で。それでも(わかるなあ…)と思うなあと思った。その上で息子に対して「お父さんは」と言いつつも、息子の選択を尊重しようと思ったんだろうなあとも思った、たとえ考えとしては認められなかったとしても。
 ここで語られているように「確実に仕返す人」だったならば。息子の意志を飛び越えて、力での仕返しをしに行っただろうと思う。でもどうやら結論は、当事者の意志が尊重されたようで。いやあ、いいお父様だなあと思った。
 二つ目のエピソードは。これはこの一つ目のエピソードに出てくるようなかっこいい人が出てこないので、わたしとしてはあんまりどうでもいい話だった。仕返しとしても、なんともどうにもかっこ悪い。嫌な思いをした相手なのだろうけれど、相手のマイナスポイントになりそうなことに鼻ぴくぴくしてそうなとこが、とてもかっこ悪く感じるというか。
 本当に仕返しをしようと思うならば。相手がくやしがるようなかっこよさを持っている方がかっこいいのに、とか思った。
 相手がどう解釈したか知らんが。「……許してやってください。」と言った「俺」は、かっこいいと思う。踏み出さないかっこよさ、ってのもあると思う。
 このエントリ読みながら。自分が過去もってきた感情としての「怒り」というものを、いろいろ考えてしまった。やっぱり許せないのは自分に対しての攻撃じゃない、自分が大事にしている人物に対しての攻撃だと思う。
 娘に対しての攻撃ならば。わたしはいつでも牙をむいて飛びかかってやる。ケースによってもちがうだろうけれど、落としどころを見つけていくのに苦労するだろうと思う。
 息子に対しては。もうわたしが牙をむく時代ではなくなってきたように思う。必要なのは本人が本人としての解決を見いだしていくための支えなんだろうなと思う。それは「耳」であるかもしれないし、存在だけでいいのかもしれない。聞かされる立場になったならば。「わたしは」と言いつつも、本人の選択をぐずぐず言わずに認めてやれるようになりたいな。