リツエアクベバ

satomies’s diary

はてなブックマーク更新

 はてなブックマーク、使い方は人それぞれでしょう。わたしの使い方は「書庫」。記憶に残したい本棚であり、資料庫であります。非公開でもいいんだけど、見たい人は見てもいいよ、ってことで公開設定。
 ってのは前置き。今日更新したのは全て「self-esteem」タグ
 self-esteem、昨日gooに入れた記事のコメント欄で、意志の疎通がうまく取れないので出した単語。この単語を知ったこととこの記事で出した意味を思考するようになったこと、自分の中での時間的順番は後者が先。
 自己肯定感、基本的信頼感、自尊心、自尊感情、self-esteem。なんて言葉、全然知らなかった時代に最初に思ってたこと。「エゴイズムって悪い意味なの?」
 「自分」というものが確立していないと立てない位置というものがある。「自分」というものを確立していないと持てない「優しさ」ってのがあるはずだ。「優しさ」が成立するためには、「力」というものがいるはずだ。その根底になるのは「自分」であり、その「自分」をいうことを表す言葉を「エゴイズム」しか知らなくて、それがイコールで不遜だの高慢だのイヤミなヤツだのってことになっていくようなことに、とっても違和感だった。これが確か中2くらいのときだったと思う。
 自分が成立する、自分が自分を肯定する、自分が自分を大事にする。だからこそ問題解決に向かっていける、だからこそ自分の足りないとこが正当に見えるはず、だからこそ心が傷ついても破損しない自己というものが存在するはずだ。自分を中心に据えることはイコールで他者を見下すことじゃない、むしろ他者を大切にすることにつながるはずだ。なんてことを思いつつ、考えつつ、そうやって、自分の中ではずっと思考のポイントとしてあったような気がする。そのことを表す言葉ってのを、そのうちゆっくりと知っていったというか。そんな感じ。
 なんかそんな感じの作文を書いた、中2のとき。自分が考えることを表す単語を全然知らなかった。それでも書いた、思うこと考えること面々と。自分を書く、というような課題だった。単なる課題だったのに書き始めたらなんだか思考が興に乗って、原稿用紙に6枚くらい書いた。最終ページにでっかい花丸をもらって、先生の感想コメントをいっぱい書いてもらった。家の中のどこかにまだコレ、取ってあるはず。
 self-esteem って言葉で検索をかけていくと、ADHDの教育を語るサイトにあたる。そうだよな、だよな、と納得する。ADHDの持つ最も大きな障害は、わたしは自己評価が低くなることだと思う。ADHDからくる行動傾向、そこで出てくる社会との軋轢。最終目標は本人の自己評価が下がることを「救って」やることなんじゃないか、と(勝手に)思う。これはADHDのご家族、教育者の方々に「関係ないくせに勝手なこと言うな」と言われたらごめんなさいというレベルかもしれない。でもわたしはそう思うのよね。 
 そんなことを検索をかけつつ、読みつつ、保存チェックしつつ思うこと。いや、しかしネットってのは便利だな。こうやって知りたいことを知りたいとこだけちょこちょこっと「検索によるつまみ食い」ができる。そして整理できる場なんてものがある。とても便利。