リツエアクベバ

satomies’s diary

ドラゴンクエスト3の記念日

夕食後に息子がガタガタと、なんだか大騒ぎをしている。なんだ?と聞いたらスーパーファミコンを出して動かすと言う。今日はドラゴンクエスト3の発売日なんだそうだ。

ja.m.wikipedia.org

33年前の今日、発売されたとかでTwitterがそんな話をしているとか。

うちにはスーパーファミコンファミコンもしまいこまれている。ソフトもしまわれている。そこをなにやらひっくり返している。

ファミコンのソフトがない」と言う。いや1と2と3はスーファミで買い直したから捨てたんではないかとか思うと答える。スーファミ版はすぐ見つかった。

取り出してみたら、スーパーファミコンの本体のプラスチックが変色してひどいことになっていた。専用のコードをつないで、動くのか?動いた!ちょっとした感動だった。

ゲームを覚えた息子が何歳の時だったか。息子に言った、「ゲームをやるならば。ドラゴンクエストの3をやらねばならぬ。そのために1と2をしっかりこなすように」。

ドラゴンクエストの3はすばらしいと思う。わたしは確か、3回くらいやったなあ。

2月ヘナ

2月のヘナ、完了。きれいに髪が染まり、ご機嫌。

前回のヘナ染めはいつだったか。と、毎月思う。日記つけてるんだからちゃんと書いとけ、と自分に思う。過去日記を「ヘナ」で検索かけても、先月のヘナがいつだったかわからない。

まー、要は「月一ヘナ」だな。義妹たちは「三週に一度染髪」と言う。そのうちそうなるかな、と思う。

義姉は50代に入ってすぐだったか、40代の後半だったかに「白髪染めない宣言」をした。

わたしの母がずっと前に、まだ祖母が元気な頃に一度「白髪染めない宣言」をした。その時祖母がとても悲しんだ。娘が老けて見えるのが辛かったのだろうと思う。まあ結局母はすぐに「白髪染めない宣言」を取り下げたのだが。

ただ、この時の祖母の悲しそうな顔をよく覚えている。白髪だらけで笑顔の義姉を見て、またそのことを思い出した。息子は白髪だらけの伯母を見て「美人なのに」とぼそっと小さく言った。そのため息のような小さな感想で、またあの時の祖母を思い出した。

今は義姉に会って、息子もわたしもそんなことは思わない。義姉は非常に美しく真っ白になった。夫も大半の毛が白い。ここの家は若白髪の家系で、みな若い時から白髪が目立ち、白くなるのも早かったように思う。
夫は白髪が多くなってからの方が、髪がきれいだと思う。細い猫っ毛だったのだが、白髪の方がハリのある毛質になった。

最近は、グレイヘア流行りだとかで染めない人も増えたと思う。しかしわたしは、ずっとヘナるぜ。ヘナかけた自分の髪色が好きだ。ヘナは白髪だけがオレンジに染まる。オレンジの色合いも人によって変わる。わたしはヘナかけた自分の髪色が好きだ。

あの人とかこの人とか

特定の人について、好きじゃないと公言するとファンの方に叱られるのかしら。イケメン兄弟の話なので名前を出さない。

演歌歌手の年の差夫婦、離婚したカップル。に三人の息子さんがいらして。ご長男と三番目の方がそれぞれロックバンドのボーカルをされている。

わたしはこのご長男バンドを聴いて軽く10年を超える。全てのアルバムを聴きまくり、ライブは未経験だが映画は観に行った。ライブ映像は所持。

三男の方に関しては。かじってみたが通り過ぎた。悪くはないが引っかからない。それと、オリジナリティを作ろうとしているのか「タ行」のクセがきつい。本人が?周囲が?いいと思っているのか、よくわからない。

この三男の方がバンドではなく「親の名を背負った本名」で、最近の流行り曲のカバーアルバムを作った。このことをGoogleがわたしにしょっちゅう教えてくる。わたしが「なになに?」と調べたことを、Google先生はしつこく覚えているらしい。

「誰々と誰々の息子の三男が、ソロで歌うアルバムだぞお!」

はいはい。さいですか、さいですか。しかしさ、いい大人なんだからそこで親の名前いらんだろ。ここに来て親の名前が必要になったのか?さんざん活動してきて今更親の名前出して宣伝か?とか、余計なことをつい思ってしまう。

あれですね。やまぐちさんとこのみうらくんのカバーアルバムがひどい、と。そこ、そこでみなさん二世さんたちやその周囲の方は学習してないのかしらと思う。いやひどいというほどではないのかもしれないが、親の名前背負った若い子のカラオケ以上のものをあの人の歌に感じる人は少ないだろう。

とりあえず。三男くんのカバーアルバムを、Spotifyで全曲聴いた。はい、ありがとう。わたしはえっと、一周でもういいや。

その後、結局ずっとONE OK ROCKを聴いてる。有名人の息子ということは、生きてきた人生の説明でしかない。そこで受けた影響、そこからの紆余曲折、飛び出していく人生。素晴らしい楽曲とパフォーマンスだなあ。しみじみ感動する。七光りではなく、遺伝子にも感謝したくなるなあと思う。

iPhone6s

「また買ったの?」

という家族の指摘。はい、買いました。中古iPhone

  • 家の中で、テレビや音楽を聞くのに「常用機」を使わない(バッテリー能力保持)
  • 家の中機「iPhone5s」のバッテリー性能がそろそろヤバい。
  • 「家の中でだから、充電しながら使えばいいじゃない」それはそう。
  • iPhone5s」を町のiPhone修理屋でバッテリー交換すると6千円くらい。

おや!ここでネット上にiPhone 6sの出物登場!

  • docomo iPhone 6s ローズゴールド
  • コンディション「A」。目立つ傷なし。
  • 16ギガ(音楽、テレビ、動画専用なので問題なし)
  • 6sはios14使用可能。
  • バッテリー交換済「バッテリー状態100%」
  • 一万円(ガラスフィルム クリアケース付き)

並行して、義妹の機器を設定。誕生日のプレゼントに一括でiPhone SEを買った。夫から舅の介護の労いだそうだ。

楽しい楽しい機器だらけの生活。

散歩

いい天気で暖かかった。夫と娘と3人で散歩に出ることにした。散歩して、スーパーに寄って買い物して帰るコース。

夫の足。おととい、保険屋さんから電話があった。「いかがですか?」。それに対して答えたこと。

  • 週一回のリハビリ。
  • 医師の診察はリハビリ前毎回と、それとは別に検査を含めた診察が月二回。
  • 術後の状態はいいが、骨はまだついていない。
  • 「通勤は難しい。往復座って行けるなら別」と医師に言われている。
  • 松葉杖ではなく、軽く杖をついての歩行。

通勤について、通勤場所を確認した上で「往復タクシーでの通勤費を補償」と、保険屋さんから言われる。在宅勤務をしているが限界はあるようなので、タクシー代の補償ということで今後考えていくことに。

夫は平日は8時半から6時まで在宅で仕事をしている。土日に「リハビリだ」と近所を歩く。今日、夫が「ちょっと歩いてくる」と言って立ち上がったら、娘がぱっと夫を見た。「おとうさん、お散歩」と言ったら、娘がちょっと(ん?)という感じの反応を見せた。ひとりでいくの?とか、なんで?とか、そこらあたりを考えたように思う。ポストに行くという目的もあったので、いっしょにとか考えず「足のため」と、娘に言った。

などなどなど。なんとなく娘が気にしたのが気になったので、午後の行動を「3人で散歩」にした。

軽く杖をつき、夫がゆっくり歩く。娘がぴったりとその後ろを歩く。それを見ながらわたしが娘に声をかける。

「ちぃちゃん、おかあさんと手をつなごうか」と言った。娘はわたしを振り返りもせず「いやだ」と答える。
「ちぃちゃん、おとうさんと手をつなぐ?」と聞いた。娘はわたしを振り返りもせず「やめて」と答える。
「ちぃちゃん、おとうさん心配?」と聞いた。娘はわたしを振り返りもせず「しんぱい」と答える。

軽く杖をつき、夫がゆっくり歩く。娘がぴったりとその後ろを歩く。それを見ながらわたしがその後ろを歩く。縦一列のお散歩。暖かかった天気のいい土曜日の午後。

沈丁花

数年くらい前に、ふと(あれ?)と思った。沈丁花って花、あったよな。道を歩いていてこの花の香りがすると、もうすぐ春が来るんだなと思った。そういう原風景みたいなものが自分の中にある。小学校の行き帰り時みたいな。あれ?もう何年も沈丁花って見てないな。

夫に聞いた。沈丁花って、珍しくもないくらいそこらじゅうにふつうにあったような気がするんだけど。夫が「ああ」と。「確かに見なくなったね」。庭木には流行り廃りみたいなものがあるんだろうか。

あの香りが懐かしいなと思った。見つけたら買おうかなと思っていた。この前、売っていたのを見た。買った。記憶の中の沈丁花の葉は斑入りじゃなかったけれど、斑入りの葉は好きなので即買いしてしまった。小さい鉢で780円。沈丁花の値段自体はよく知らないが、わたしにしてはちょっといいお値段だった。

f:id:satomies:20210205224057j:plain

人が通る場所に出した。道に向かって香るといいな。

靴紐

今日は夫がリハビリの日だった。夫を病院に送り、わたしは用事をこなすために駅に向かった。

小柄な高齢の女性が前を歩いていた。よたよたよたよた、という感じだった。左の靴紐が派手にほどけていた。あぶないな、と思った。

靴紐がほどけた状態で歩いていたことある?わたしはあるよ。ああ結び直さなきゃ、でもあそこまで行ってからでいいやとか。そのタイミングで「ほどけてますよ」と言われると、「ありがとうございます」って言ってそこでその人の前でかがんで結び直さなきゃならない。いや、とりあえずあそこまで行ってからと思ってたんだ、とか、そういうの全部取りやめなきゃならない。とか、ある?わたしはあるよ。

だからどうしようかな、と。言わなくていいかな、と。でも言ったほうがいかな、と。

で、言った。「すみません、靴紐ほどけてますよ、危ないですよ」って。
で、続けてすぐ言った。「わたし、結びますね」。で、女性の足元にかがんで結び直した。

いや、もしも(あそこまで行ってから)とか思っていた場合、その場所で結び直すのに支障があるからだ。だからわたしが結ぶことにした。実際、危なかったし、ほどけた靴紐長くて。

ちゃちゃっと結べたから、まああっという間で。女性が言った。「パーキンソン病で」「手がうまく動かない」「ありがとう」「ご親切に」。

ああ結ぶ選択でよかったんだな、と思った。はいこれで大丈夫ですと言いながら立ち上がったら「一人暮らしなんです」「手がうまく動かない」「ご親切に」と続ける。
笑顔で会釈してお別れした、つもりだった。

とっとと歩いていたら、後ろから声が聞こえてきた。すみません、すみません、すみませーん。さっきのご婦人が叫びながら、ご婦人ができる限りの早足で追いかけてきた。

「ご親切な人に出会えて」「リュックの肩紐がズレていて」「自分で直せない」。

左の肩紐が、ほんの少し肩からずれていた。ていねいにずれを直して、それからリュックの肩紐を両肩確認して、それから「ほかにご不便なことはないですか?」と聞いた。

「ご親切な人に出会えて」「手がうまく使えなくて」「ひとり暮らしで」。

父は、体が弱り要介護になったら、すがりつくようなかまって爺さんになった。おれはおれはおれは。要介護の介護よりも、このすがりつくような愛情の飢餓感みたいなものの訴えがきつかった。

「ご親切な人に出会えて」「手がうまく使えなくて」「ひとり暮らしで」。

もう一度肩紐を確認して、丁寧に直して、かがんで靴の紐を確認した。
「もうだいじょうぶですよ、お気をつけて、いってらっしゃい」

そう丁寧に言って、笑顔で会釈して、先を急いだ。どうすればいいのかわからない。他人ができることはこれくらいだ。

それにわたしには急用が迫ってきていた。おれは。うんこがしたくなっていたんだよ。他人ができることはこれくらいだよ。

父は。要介護だったからなあ。家族が愛情乞いジジイに辟易しても、ヘルパーさんがいたのよ。優しくしてくださって。家族にもよくしてくれた。要介護。
今日のあのご婦人。あのくらいの不自由さは、いろいろと難しいだろうなあ。