リツエアクベバ

satomies’s diary

靴紐

今日は夫がリハビリの日だった。夫を病院に送り、わたしは用事をこなすために駅に向かった。

小柄な高齢の女性が前を歩いていた。よたよたよたよた、という感じだった。左の靴紐が派手にほどけていた。あぶないな、と思った。

靴紐がほどけた状態で歩いていたことある?わたしはあるよ。ああ結び直さなきゃ、でもあそこまで行ってからでいいやとか。そのタイミングで「ほどけてますよ」と言われると、「ありがとうございます」って言ってそこでその人の前でかがんで結び直さなきゃならない。いや、とりあえずあそこまで行ってからと思ってたんだ、とか、そういうの全部取りやめなきゃならない。とか、ある?わたしはあるよ。

だからどうしようかな、と。言わなくていいかな、と。でも言ったほうがいかな、と。

で、言った。「すみません、靴紐ほどけてますよ、危ないですよ」って。
で、続けてすぐ言った。「わたし、結びますね」。で、女性の足元にかがんで結び直した。

いや、もしも(あそこまで行ってから)とか思っていた場合、その場所で結び直すのに支障があるからだ。だからわたしが結ぶことにした。実際、危なかったし、ほどけた靴紐長くて。

ちゃちゃっと結べたから、まああっという間で。女性が言った。「パーキンソン病で」「手がうまく動かない」「ありがとう」「ご親切に」。

ああ結ぶ選択でよかったんだな、と思った。はいこれで大丈夫ですと言いながら立ち上がったら「一人暮らしなんです」「手がうまく動かない」「ご親切に」と続ける。
笑顔で会釈してお別れした、つもりだった。

とっとと歩いていたら、後ろから声が聞こえてきた。すみません、すみません、すみませーん。さっきのご婦人が叫びながら、ご婦人ができる限りの早足で追いかけてきた。

「ご親切な人に出会えて」「リュックの肩紐がズレていて」「自分で直せない」。

左の肩紐が、ほんの少し肩からずれていた。ていねいにずれを直して、それからリュックの肩紐を両肩確認して、それから「ほかにご不便なことはないですか?」と聞いた。

「ご親切な人に出会えて」「手がうまく使えなくて」「ひとり暮らしで」。

父は、体が弱り要介護になったら、すがりつくようなかまって爺さんになった。おれはおれはおれは。要介護の介護よりも、このすがりつくような愛情の飢餓感みたいなものの訴えがきつかった。

「ご親切な人に出会えて」「手がうまく使えなくて」「ひとり暮らしで」。

もう一度肩紐を確認して、丁寧に直して、かがんで靴の紐を確認した。
「もうだいじょうぶですよ、お気をつけて、いってらっしゃい」

そう丁寧に言って、笑顔で会釈して、先を急いだ。どうすればいいのかわからない。他人ができることはこれくらいだ。

それにわたしには急用が迫ってきていた。おれは。うんこがしたくなっていたんだよ。他人ができることはこれくらいだよ。

父は。要介護だったからなあ。家族が愛情乞いジジイに辟易しても、ヘルパーさんがいたのよ。優しくしてくださって。家族にもよくしてくれた。要介護。
今日のあのご婦人。あのくらいの不自由さは、いろいろと難しいだろうなあ。