リツエアクベバ

satomies’s diary

Hero

「アレクサ 安室奈美恵かけて」。

amazonのプライムミュージックに、安室奈美恵の曲が大量に放出されたと、きんどうさんが教えてくれた。

kindou.info

夕飯を作る台所で安室奈美恵が歌う。聴いたことがある曲とか、聴いたことがない曲とか。わたしはこの人の世代でもないし特にファンでもない。同じような女の子が街を闊歩していたなあとか、ヒット曲があったなあとかそれくらい。
子ども産む前の紅白で息を呑むような美しさを感じたなあ、とかそれくらい。

ポンキッキーズでなんか着ぐるみを着てたのは覚えてる。あとなんかブドウのキャンディかグミか忘れたけど、CMで何人かのひとり程度な映され方の中で、なんだか一人だけ印象的だった。頭の形からまんまるできれいなブドウみたいだなとか思ったのは覚えてる。

何曲かシャッフルされ、Heroが流れてきた。NHKのオリンピックソングだったけれど。これ、息子さんのこと思って歌ってるだろ、と思ってた。
わたしはこの曲を初めて聞いた時、わたしはこんな風に思って息子を育てていたと思った。

「ちぃちゃんにはたくさんせんせいがいる。でもぼくにはおかあさんしかいない」

息子にも幼稚園の先生はいたし、かかりつけの小児科医もいた。でも。普通の子じゃない子どもへの支援のチーム感を、息子は早くに感じ取っているところがあった。
よしわかった。アンタの感じるそのチーム感を、わたしが一人で引き受ける。わたしはアンタのヒーローになる。みたいな感じはあったなあと思う。
思うというか、安室奈美恵のHeroを聴いたとき、わたしは息子が小さかった頃をわーっと思い出したんだな。だからなんか、彼女はご子息への思いをドバーッと溢れ出してるように思ったんだ、この曲。

今週息子は25になる。よく育った。いい子だ。

空き地

隣家のおじいさんが随分と前に亡くなられた。奥様であるおばあさんは、もっと前に亡くなられた。大きなお庭があり、大きな外作業場があり、おうちも大きかった。そのまま空き家になって庭が荒れ果てること二年くらい。去年の夏、買い手がついて、今年のはじめから解体が始まった。

解体業者が入って、整地業者が入って、水道やガスなどの工事が入った。大きなおうちが無くなって、お庭のたくさんの実のなる木が無くなって、塀もなにもかも無くなって、広い土地だけになった。そこをまた重機が入って、土地に段ができた。雛壇状になり、そこに5軒の住宅を建てられるようにしたんだそうだ。

工事車両がいろいろ入る中、若い母親に連れられた小さい男の子の姿を何組かよく見かけた。「はたらくくるま」を眺めに来てるのだと若いママが言ってた。

工事が全部終わったのは春だったと思う。おじいさんの息子さんから土地を買った会社は、整地までに資金がかかりすぎたからこの状態でまた売るんだと言ってた。隣家の工事だからよく挨拶に来てくれていたので、そこまでは直接聞いた話。

次の持ち主に土地は渡ったのだけれど。商品化するのはまだ先にするらしく。ずっとそのまま。家5軒分の広大な土地は、今広大な荒れ野原になってる。きれいに盛り上げられた雛壇は、高さのある雑草で見る影もない。

不思議なのは。その広大な空き地を飛び跳ねる生き物が全くいないこと。柵も何にもない荒れ野原なのに、そこに入って遊ぶ子どもはいない。昔の子どもより土地に対しての「誰のものか」意識が高いのか。昭和の子どもは空き地は公園とイコールみたいなもんだったと思う。今の子どもは空き地で遊ぶやり方を知らないのかもしれない。

犬の散歩で入り込む人もいない。あれだけ雑草だらけならうんこもし放題でもバレなかろうし、犬は飛び跳ねそうなものだと思う。しかし人はこの荒地の「見えない柵」をきっちりと守る。

猫もいない。そもそも野良猫や外に放される猫が存在しない。うちの猫が生きていたら、そしてあと10年くらい若かったら。さぞ飛び跳ねただろうと思う。

時代の流れだなあと思う。ここに住宅が建つ頃、わたしはここに住む人たちから「お隣のおばあちゃん」になるんだなあと思う。

森の熊五郎

インターネットの海で「森の熊五郎」という人に出会った。Googleの検索で「森の熊五郎」と入れると何件か出るけれど、この方たちは別の方のようだ。わたしが見つけたのはamazonのレビューにいる熊五郎さん。

見つけたのはペアリング。わたしは時々amazonでシルバーの指輪を買う。買わなくても時々眺める。外国製のシルバーのペアリングはとても安い。フリーサイズのものを買って重ね付けをしたりする。日常普段用。レビューには変な日本語がよく出てくる、そういうシロモノ。ちなみにこれがわたしの普段用。下緩め上ぴったりにして二本重ねる。

で、同じような品物のレビューに森の熊五郎さんは現れた。奥様と自分と相次いで結婚指輪を無くされたそうだ。結婚50年越えの年金生活者で高いものは買えないが妻は喜んだ、と。

なんとなく森の熊五郎さんに興味を持って、レビュー一覧を次々に読んだ。あんまりたくさんあるので全部は読んでいない。でもこの2年くらいの間にたくさん書かれていて、そこには商品のレビューだけではなく熊五郎さんの人生が見える。

熊五郎さんはスピーカーが好き。安いスマートウォッチを書い続けているのでそういう類のもの好きなんだろう。指輪時計もお好きなようで、気分によって付け替えたりしてるらしい。また、刺青にも興味があったようでいろいろなタトゥーシールを試している。お望みは観音像らしいが手に入らない。そもそも観音像をそんなふうに使ってはいけないのだと、納得していらしたりする。お洋服もいろいろ買われている。ユーモアたっぷりのレビューは読んで楽しい。

熊五郎さんは今年79歳。味覚が乏しくなってきており、介護食を試していらしたりする。普通食と介護食の中間あたりがご所望らしい。

自衛隊のお仕事をしていらした熊五郎さんのレビューには、奥様に対しての愛情があちこちにある。奥様のご病気での体重の減少に動揺し、体重増加用のプロテインを買われる。要介護3の奥様に必要なものをあれこれ考える。そして奥様は要介護4になられ、特養に入られる。奥様の特養での生活に役に立ちそうなものをいろいろ探して買い求め、桜の季節には枝垂れ桜の造花を買って奥様の元に持って行かれる。そんなレビューの数々には、熊五郎さんの生活と奥様に対しての愛情が滲み出る。

わたしは。森の熊五郎さんのファンになった。

熊五郎さんリンク

熊五郎さんのレビューを読んでほしい商品

熊五郎さんのレビューリンク
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床屋さん

舅の歩行がだんだん弱々しくなっていて。そのうち訪問サービスでの床屋さんをお願いすることになるのかなあと思ってた。
ただ、いつも通ってるところから遠のくのはいろいろとしんどいことだろうなあと。
父も、要介護で歩行がおぼつかなくなっても、床屋さんはいつものところに出向いて行きたがってたなあと。

で、今日。舅が床屋さんに行きたいそうなので、初めて義妹といっしょに行った。今までは義妹がひとりで連れて行ってたけれど。ここのところまた、歩行がおぼつかなくなってきているのでわたしもお供。

床屋さんは舅が店の前に着くと、にこやかにおなじみさんとして迎え入れて、終わるくらいの時間を教えてくれた。わたしと義妹はそれぞれにそれぞれの用事のために街に散り、また戻った。
床屋さんは、髪切る場所の椅子から入り口のソファに向かって、スタッフ二人ついて舅をゆっくり移動させてた。

おなじみさん、って、よいものだなあと思った。

amazonレビュー

2年前の6月に「やってみたかったこと」とかいう戯言を書きなぐっている。要するに、ネット上にまるで実在するかのような氏名を作って存在させてみたいという話。いわゆるハンドルネームみたいなのではなく、出席簿に出てきそうな、そういうやつ。

satomies.hatenadiary.com

で、この時に遊びのように生み出したソイツはamazonで活動をしている、細々と。今見てきたら、29個のレビューを書いて96人の人に「参考になった」と投票してもらっている。amazonから「アンタがレビュー書いた商品に質問きてるよ、答えてくれないか」とメールがくれば、たいがいにおいてすぐ丁寧に答えたりする。

たださ。残念というか、自分の何かに対しての読み違えというか。amazonにおいてもっともらしいフルネームって、サクラレビュワーに多いのよね。鈴木裕子みたいなのより「すっちー」とか「ユーコだよん」みたいなのの方が絶対にサクラ臭がしない。
なんつーか、おれ。時代のタイミングにセンス無い。まあ、ババアなんてそんなもん。

まあ名前はサクラっぽいが、レビューは誠実だ。昨日amazonで買ったもので革のバッグのメンテをした。今のところ星4つだが、1カ月くらい様子見てからレビュー入れるつもりでございます。

14回目

猫が死んで14回目の水曜日。今日も水曜日のネコを飲む。

数日前に義妹がうちに来た時に言った「どのぐらい経った?」。水曜日を13回、と思ったけど口に出して言わなかった。水曜日の回数で数えてたから、どのくらい?と聞かれてよくわからなかった。
カレンダーを見ながら言った。「3カ月経った」。そうか、3カ月なのか、と思った。

毎日毎日毎日、写真を見てる。写真が増えず、さわれない。それだけのこと。ぽわんぽわんと写真が変わっていくフォトフレームを馬鹿みたいにぼーっと眺めてる。

3カ月経ってはっきりしてきたことは。もう猫は飼わない。もう看取るのはきついなあと思う。老後の経済考えて、保険がきかない家族を増やす余裕ももう無い。ガンに腎臓病に。闘病はいろいろあった。今後、死ぬまで健康でいる猫と出会える気もしない。

思い出を抱えて生きるのも、悪くない。写真をぼーっと眺めてるとき、悲しいというより愛おしい。

若いつもり

先日、いわゆる旧友と遊びまして。きゃっきゃと半日楽しかったのですが。
ふと彼女が言いまして。年食っても精神年齢がどうのと。

いやさ。いわゆる子どもいないといつまでも若いつもりでいるとか、自覚無いとか、まあ言ったりするよね。
それがさ。そこからまたぐるっと時計が進んだりしてさ。子どもいても孫がいないとババアの自覚が薄かったりするのよ。
もーこのくらいまで来たら、勘違いしてるやつの勝ちだわよ。ゴキゲンでいこーぜ!

などと言ったりしておりました。

今日さ。ダウン症の赤ちゃんのママとお話ししてたんだ。この役割を担ってもう長いんだけどさ。じわじわと。赤ちゃんのママとうちの娘の年齢が近づいてきてるのよね。世代交代しよーしよーと、いわゆる後輩かーちゃんたちには訴えているのですけどね。

まあ、ババアを脱ぎ捨てて若いつもりでいきますかね。と、今日もがんばる。若い人と話すのは楽しいしね。