リツエアクベバ

satomies’s diary

空き地

隣家のおじいさんが随分と前に亡くなられた。奥様であるおばあさんは、もっと前に亡くなられた。大きなお庭があり、大きな外作業場があり、おうちも大きかった。そのまま空き家になって庭が荒れ果てること二年くらい。去年の夏、買い手がついて、今年のはじめから解体が始まった。

解体業者が入って、整地業者が入って、水道やガスなどの工事が入った。大きなおうちが無くなって、お庭のたくさんの実のなる木が無くなって、塀もなにもかも無くなって、広い土地だけになった。そこをまた重機が入って、土地に段ができた。雛壇状になり、そこに5軒の住宅を建てられるようにしたんだそうだ。

工事車両がいろいろ入る中、若い母親に連れられた小さい男の子の姿を何組かよく見かけた。「はたらくくるま」を眺めに来てるのだと若いママが言ってた。

工事が全部終わったのは春だったと思う。おじいさんの息子さんから土地を買った会社は、整地までに資金がかかりすぎたからこの状態でまた売るんだと言ってた。隣家の工事だからよく挨拶に来てくれていたので、そこまでは直接聞いた話。

次の持ち主に土地は渡ったのだけれど。商品化するのはまだ先にするらしく。ずっとそのまま。家5軒分の広大な土地は、今広大な荒れ野原になってる。きれいに盛り上げられた雛壇は、高さのある雑草で見る影もない。

不思議なのは。その広大な空き地を飛び跳ねる生き物が全くいないこと。柵も何にもない荒れ野原なのに、そこに入って遊ぶ子どもはいない。昔の子どもより土地に対しての「誰のものか」意識が高いのか。昭和の子どもは空き地は公園とイコールみたいなもんだったと思う。今の子どもは空き地で遊ぶやり方を知らないのかもしれない。

犬の散歩で入り込む人もいない。あれだけ雑草だらけならうんこもし放題でもバレなかろうし、犬は飛び跳ねそうなものだと思う。しかし人はこの荒地の「見えない柵」をきっちりと守る。

猫もいない。そもそも野良猫や外に放される猫が存在しない。うちの猫が生きていたら、そしてあと10年くらい若かったら。さぞ飛び跳ねただろうと思う。

時代の流れだなあと思う。ここに住宅が建つ頃、わたしはここに住む人たちから「お隣のおばあちゃん」になるんだなあと思う。